やめてくれなんだけどなかなかやめてもらえない話

2024/1/11作成

「ホント、やめてくれー!」能登半島地震の被災地で実際に起こっている!災害時に「絶対やってはいけない」ワースト5

災害時にも限りませんが、時間もリソースも限られる災害時には特にやってはいけないことなのに、実際に行われてしまったことを5つあげて解説くださっています。スパスパと切り捨てていてこぎみよいくらいなんですが、この記事を読んで留飲を下げてるだけじゃダメなんですよねぇ。

さて、このような記事が書かれて、では迷惑行為がなくなるかというと、実際にはなくならないんですよね。今日も被災地に向けてたくさんの迷惑行為が繰り返されています。なんでなくならないのか。そこにもいくつか理由があるわけです。

まず一つは、本人にとって利益があること。YouTubeの広告収入は金銭的な利益ですし、政治家にとっては自身の存在の宣伝になる。金銭的な利益を直接うまなくても、SNSでいいねをたくさん集めて承認欲求が満たされるというのも利益のうちですね。いくら他人の迷惑になろうが、批判されようが、間違っていようが、そこに利益があるなら行動する人は一定数存在します。個人的にはそんな人は尊敬できませんが、私からの尊敬などそもそもそんな人たちは求めてないので関係ないですね。

次にあげられるのが、肯定してくれるファンがいるから。YouTuberであれば登録視聴者ですし、政治家であれば支持者ですね。批判する声はアンチとして耳をふさぎ、本人とファンは自分たちの狭いコミュニティに閉じこもっている。その閉じこもった世界の中では行動は正当化されていますので快適に暮らせます。実際にはその外にも世界はあるんですがね。

最後にあげられるのは、批判されたからといって今までの自分の考えを変えるのはそもそも容易ではないこと。日常生活からネットの掲示板からテレビの討論番組まで、議論の相手から正論をぶつけられて考えを変えたという人を見たことありますか。ないですよね。希少な例ではあるかもしれないけど、滅多にない。そしてその意見を変えるのでも、実際には変えるまでには何年も何十年物長い時間がかかってしまう。大半の人は意見を変える前に寿命が尽きてしまうわけですね。これは他人の意見を受け入れるのには自分の中でそれを咀嚼して納得するまでの時間が必要という構造的な問題もありますね。

ちなみに意見を変えられないのは、これは知性の問題でもありません。地動説を認められなかったのは当時の高名な科学者たちです。迷惑行為を行っている人の中には高い知性をお持ちと思われる方も含まれていますが、そうした人でも他人から批判されて考えを変えることはなかなか難しい。おそらく元記事のようなものが出ても、誰一人迷惑行為をやめないでしょう。

ではこうした批判記事は無駄かというと、そういうわけでもない。一度の批判では考えを変えられなくても、何度も繰り返すことで徐々に考えを変えられるかもしれない。また、当人の考えを変えられなくても、取り巻きのファンの考えを変えられるかもしれない。取り巻きが減っていけば迷惑行為による利益が減りますから、迷惑行為をやめるインセンティブになりうる。

ということで、批判の声を上げ続けるのが大事なのかなぁということで、この記事も小さな声ではありますが批判の声の一つとして書いてみましたというところです。

(2024/1/12追記)

いくつか書きもれてたかなと思うので追記。

まず迷惑行為による報酬について。承認欲求や政治的支持などは簡単にはなくせないのですが、プラットフォームによる広告収入はなんとかなりませんかね。YouTubeが安易に広告料を払わなければ迷惑系YouTuberなんてものは生まれなかったわけなんですよね。最近ではX(旧Twitter)が報酬を払うようになってインプレゾンビなるものが発生して、Xは意見交換が不可能になってしまったりとプラットフォーム自体の破壊も行われてしまっていますし。

あとまあ、当たり前の話だけど批判側が絶対に正しいとは限らない。盗人にも三分の理というとおり、迷惑行為の中に正当化出来る部分がゼロとも限らない。もしかしたら両者の意見のどちらでもないところに適切な落としどころがあるのかもしれない。その落としどころを探るには健全な意見交換が必要なんだけど、迷惑行為をする人って大抵批判には最初から耳を塞いでいるので意見交換出来ない。もっとも批判側も、俺は批判してるから正しいんだって姿勢が無いとも言えないので、そこは常に自制しなきゃならないんだけども。