世の中の仕組みが変わるには世代交代しかないのか

2020/8/22作成

最近読んだ記事に「地動説が広まったのは、天動説を信じていた人たちが年老いていなくなり世代交代が行われたから」という言説がありました。どこに記事で読んだのかわからなくなってしまったので、リンク元が示せないのですが。

なんとなく納得するものがありりつ、真実の徒である科学者であっても自分の考え方や方法を変えることは難しいのかという絶望もあります。まあ、科学者と言いつつも中世ヨーロッパの科学者ですから、近代科学者とはちと違うわけですが。

身近な例としては、コロナ禍に伴うリモートワークにも当てはまりそうです。若手の社員はリモートワークでも柔軟に対応して業務にも支障が出ていないのに、年配の管理職が「対面で無いと仕事はできない」と言ってきかないとか。この場合、年配の管理職が全員定年で居なくなるまでリモートワークは根付かないのかもしれません。

私はITエンジニアですので、便利なITシステムを作ったら世の中便利になるんじゃないなかと思ってるわけですが、実はそうではないのかもしれない。業務システムを作ったら業務が効率化できるんだけど、実際にはいまだに紙と電卓とファックスで仕事を回している会社もたくさんある。多分こういう会社に業務システムを導入しても根付かないし、今いる昭和社員が全員定年退職するまで変わらないのかもしれない。

もちろん全ての昭和社員が変われないわけではないでしょう。老舗企業でもリモートワークにしっかりと対応している会社もあるし、最新の業務システムを取り入れている会社もある。年配の社員だからといって全員がIT音痴というわけでもない。でも、全部の会社が、全部の社員がそうとは限らない。

電子書籍の時代がくると散々言われていたのに、結局既存の出版社は電子書籍に乗り遅れてしまった。ネットの時代がくると言われてもテレビ局も新聞社も変われなかった。電気自動車や自動運転車は、従来のガソリンエンジン自動車メーカーではない会社が主流になるかもしれない。

世の中を変えるには、新しい仕組みを用意して従来の集団に適用すればいいのかと思ってた。でももしかしたら違うのかもしれない。新しい仕組みを使う集団を新たに作って、その集団が世の中の多数派になるように成長させる方が手っ取り早いのかもしれない。うちの会社はいまだに紙と電卓でさぁと言ってるなら、その会社でITシステムを導入するように頑張るよりも、同じ業種で最初からITシステムを駆使する会社を新規に立ち上げて、その会社を成長させた方がいいのかもしれない。本当にIT化で効率がよくなるのなら、新会社の方が成長するはずですから。

とまあ、そんなようなことを考えたりしています。はい。

(2020/8/26追記)

明治維新政府の主要メンバーは20代30代の若者が中心だったそうです。それまでの大人が中心の江戸幕府とはそれだけで政策に違いがでそうですよね。戦後の高度成長期を支えた新興の自動車や家電メーカーの創業者も、創業時点では若者。それに対して今の日本は老人が君臨し、席を譲る相手も老人。それは成熟した社会という言い方も出来るけど、変化には弱そうだよねぇとは思いますよね。まあ、こう書いてる私もどちらかというと老人の方の年齢になってしまってるんですが。

ただ、若ければそれで絶対にOKってわけでもないんですけどね。若いのに頭が古くて堅い人ってのも実際に居ます。当然、老人なのに柔軟な考えの人も居ます。ただ、傾向としてみるならば老人よりも若者の方が変化しやすいってのはあるでしょうね。あと、なんといっても人生そのものが短いことから配慮しなければならないしがらみが少ない。そういう意味では若くても2世3世のおぼっちゃまはしがらみが多くて変化しにくいかなぁ。

あと、ここで書いているのは、あくまでも指導者層をしがらみの少ない者に入れ替えたらいいんじゃないかってことでして。老人だって若い指導者に指導されたら新しい仕組みに対応せざるを得ない。老人は全員居なくなれってわけではないんですよ。明治維新の時だって、別に大人世代を粛正したわけではなく、社会全体の人口構成は変わってないはずですからね。ただ指導者の総入れ替えがあっただけで。