相談にのるのって難しい

2022/5/20作成

タイトルそのままの話です。人の相談に乗るのって難しい。

人に話を聞いてもらうのって大事だよねで書いたような話なんですが、人って基本的に自分で考えて自分で決めるんですよ。なら一人っきりで考えればいいんだけども、実際にはなかなか難しいので、人に相談する。相談されたら自分なりに考えた答えを返してしまうんですが、それって求められてることではないんですね。答えを出すのはあくまでも当人。相談される人は壁打ち相手ってのが本来の理想。

スナックのママさんとかバーテンさんとか、基本的にそうですねって受け流すだけですよね。こうしなさいよって答えを返したりはしない。答えを返したら、その答えに対する責任が発生するってのもありますが。ともかく受け流すだけ。なら何の役にも立たないかって言うとそんなことはなくて、相談した人は話を聞いてもらっただけで楽になるし、話をすることで問題が整理されて自分なりの答えを探し出すきっかけになったりもする。だから相談された人は、答えを出しちゃいけないんですよね。それが分かっているんだけど、でも実際にはつい思ったことを口に出してしまう。答えを出してしまいそうになる。ということで、相談に乗るのって難しいなぁということでした。

ああ、もちろん明確に出せる答えは出してもいいんですよ。駅はどっちですかと聞かれて、それは自分で考えましょうなんて返しても意味ないですから。あと、明らかに間違った道に進もうとしてるときは、それは止めたほうがいいですかね。愚行権を認めるという考え方もありますけれど、限度がありますから。「俺もうダメだ死ぬしかない」って言ってる人は、とりあえず止めたほうがいいと思います。はい。

(2022/5/23追記)

書こうと思って忘れた。「グラン・ローヴァ物語」に「助言は賢者から賢者へ与えるのでも危険な贈り物」という言葉が出てきます。もしかしたら元は誰か別の人の言葉なのかもしれませんが、学のない私はこの作品で知りました。でも確かにそうだよなぁと思います。

一つのは作品中にも出てくる通り、未来のことは誰にも分からないこと。よかれと思ってアドバイスしても、未来が予想と違ってしまって悪い結果になってしまうことは十分にあり得る。そうなったときに、アドバイスに従ってやったのにとなってしまっては問題です。当人が決めたことなら悪い結果でも当人が受け入れられるでしょうが、他人の決めた方法で悪い結果になったらそりゃ後悔が残るでしょう。

もう一つは、結局問題について一番詳しいのは当人なんですよね。当人は散々その問題について考えたし、いろんな情報も収集してきた。それに対して相談相手は、今少しの時間話を聞いただけ。これだけ情報格差があるのに、相談相手の方が適切な回答を与えられるかというと、まあ無理ですよね。

では相談されたら、ただ壁打ち役に徹して聴くだけがいいかというと、そうとも限らない。一つは見落としてる選択肢を提示すること。これは法律相談などの専門家に対する相談ではよく当てはまりますね。法律的にどのような対処方法があるか、選択肢を提示する。でもあくまでもどの方法を採るか決めるのは当人ですけどね。医者だってそうですよね。昭和の頃なら医者が勝手に治療法を決めていましたが、今どきはインフォームドコンセントが浸透していますから、治療法とメリットデメリットの説明があって、どの治療法を採るかは患者本人が決定する。まあ、あくまでも原則論であって現場ではそうでないことも多々あるでしょうが。

あとはまあ、自分なりの経験や解釈を話して、思考を広げるお手伝いをすることですかね。こっちは専門家でなくても出来ますよね。似たような状況で困ってた時、自分はこう考えてこう決断した。結果、今はこうなってるというような話は参考になると思います。それでも結局は決めるのは当人であることには違いが無いです。

というように考えるんですが、実際には相談されたときについ自分なりの回答を押し付けようとしてしまうことがあって、あとから「ああああああ」って後悔するってことを繰り返してます。ああ、自分が成長してない。今後少しでも改善できますようにということで、このような記事を書いた次第です。はい。