採用と育成の境界はどこにあるのだろう

2021/1/8作成

サイレントお祈りはなぜダメなのかでも書いた通り、ただいま転職活動を行っています。そして、ある程度予想されたことですが、かなり苦戦しています。なかなか内定がもらえない。

まあ、内定がもらえないのは私自身が転職市場で価値が低いからで自業自得なんですが、それだけでもないかなというように思うところがあるので少し書いてみます。

そもそも私は2014年から断続的に転職活動を行っていてまして、まあ言っちゃなんですが転職のプロなんですね。禁煙のプロみたいなもんで、全く持って褒められたものではないんですけれども。ただ、その私の肌感覚として感じるのは、今回の転職活動では以前の転職活動よりも企業側の人材見極めの目が厳しくなってるかなぁというところ。

もちろん景気の影響ってのはあるでしょうね。以前はなんだかんだいってアベノミクスで景気はそれなりによかった。私が職業としているITエンジニアの求人も多かった。今もITエンジニアの求人は多いけど、コロナで先の見通せない社会状況になっているから、どこの会社も無理して人を採用するよりも、よほどいい人材がいた場合のみ採用しようという姿勢に変化しているとは思います。

そういう影響以外にも、人材採用やチームビルディングに関するノウハウの共有が進んだってのもあるのかなって気がしています。そういうテック記事もここ数年よく見かけるようになりました。以前は面接でなんとなくよさそうかなと感じたらとりあえず採用してたけど、今はもうちょっとロジカルに採用不採用を判断するようになってきてる。また、Googleの心理的安全性の話が広まり、チームに不適切な人を加えることによる悪影響が知られるようになって、採用に慎重になっているというのもありそうです。ともあれ、結果的に以前ならわりと簡単に内定を出していたような状況でも、慎重になっている企業側の姿勢があるような気がします。私の感じてるだけの、N=1だけの話なので、世間一般に展開できることかどうかはわかりませねんけどね。

そうやって採用がなんとなくではなくロジカルに行わるようになったり、マネージャーがチームビルディングを真剣に考えるようになったのだとしたら、それは組織としてはプラスの方向に働くでしょうから、多分社会全体としてはいい方向になっているとは思うんです。はい。ただ、求職者としてはなかなか内定がもらえないので困ったなってところではあるんですが。

一方で、これまたGoogleのレポートですが、面接官の評価と入社後のパフォーマンスには相関がみられなかったという話もあるんですね。ならば面接や選考に果たして意味はあるのだろうかという疑問もあったりもしますが。

そもそも私は転職は気軽にしたらいいんじゃないかと思ってまして。企業は試しに気軽に採用して、人は試しに気軽に会社に勤めて。合えばそのまま働けばいいし、合わなければ辞めて次に行けばいい。人材が本当にその企業にフィットしているかどうかは、実際に仕事をしてみないとわからないとも思っていますし。終身雇用とは正反対な考え方ですが。終身雇用が合ってる人もいるでしょうけれど、私は転職が気軽にできる余地もある社会だといいなぁと思っています。

そもそもとしてなんですが、企業が行っている本当にフィットする人材だけを採用するってのは、果たして正しいのかどうかってのも疑問なんですね。ようやくタイトルの、採用と育成の境界の話に入ってくるんですが。

ちょっと話が変わりますが、人間の誕生っていつの時点を指すと思いますでしょうか。一般にはお母さんのお腹から出てくる時をもって誕生と言うとは思いますが、産まれた赤ちゃんもしばらくは自力で立つこともしゃべることもできませんし、そもそも食事も与えてもらわないと生きていけません。とても生物として自立した状態とは言えないわけですね。だから、赤ちゃんから成長し、一人で歩いて食事もできるようになった時点を誕生とする考え方もあっていいと思うんです。現代社会で生きていくにはそれだけでは不足で、様々な勉強をしてスキルを身に付けないとやっていけません。そうすると学校を卒業して大人になった時点を誕生とするという考え方もあるかと思います。

そもそも人間は脳が大きくなりすぎて産道を通れないため、あえて未熟児として出産するように進化したという話があります。種によっては出産して数時間後には自力で歩いて餌も取れるというものもありますし、有袋類のように出産した時点では超未熟児で育児嚢の中で普通の赤ちゃんになるまで成長するというケースもあります。そう考えると、生命としてのスタートは受精であって、ゴールは生物として自立できること。その過程として胎内で育つか胎外で育つかというのは、種によって違いがあって出産というのはその区切りの一つでしかないという考え方はあると思うんですね。

採用と育成についても、これと同じように考えることができるんじゃないかと思うんです。一般に企業が採用して正社員として迎えても、入社後には育成のステップがあります。即戦力を期待される中途入社でも、会社ごとに違う仕事の仕組みなどを覚えないといけませんので、育成ステップがゼロにはなりません。

採用は生物における出産と同じように捉えるとしたら、採用前の選考段階は胎児であり、採用後の育成段階は出産後の成長段階に相当するわけです。出産というのを単なる区切りでしかないとするならば、採用も単なる区切りととらえることも出来のではないかと。

採用という区切りを極端に前に動かした例に樹研工業という会社があります。こちらはなんと選考は先着順。ペーパー試験とか面接とかの、いわゆる選考は一切行わない。枠が埋まるまでは先着順で必ず採用する。ただ、実際に働きだして全員が定着するわけでもないとは思うんですよ。途中で脱落する人もいるんじゃないかと思うんですね。であれば、選考は採用後に実際に働きながら行っているとも言える。

一方、逆に採用を極端に後ろに動かした例にソニックガーデンという会社があります。こちらは実際に私も以前に応募したこともあります。結果、自分には無理だと判断して辞退したのですが。ソニックガーデンでの採用では、まずトライアウトという仕組みがあります。採用試験ではあるのですが、かなりのボリュームで実質的に研修に相当すると思います。トライアウトを通過しても採用には至らず、アルバイトとして数か月実際に業務を行います。そうして組織へのフィットを判断して、最終的に採用に至ると。採用した時点で既に社員として一人前になっていますから、育成段階は存在しません。採用に十分な手間をかけてフィットするかどうかを判断していますので、入社後の脱落はありません。少なくとも私が応募した頃には退社した人は存在しなかったはずです。今はどうかわかりませんが。

樹研工業とソニックガーデンはそれぞれ極端な例ですが、どちらも途中でフィットしない人材を弾いているという点では同じです。そもそもフィットしない人は一定数存在するはずですから、育成が完了する時点までに弾かなければなりません。それをどのタイミングで行うかです。

多くの企業では、選考時点でフィットしない人材を弾けるとしているわけです。でもそれって正しいのでしょうか。フィットすると思った人材だけど、採用後の試用期間中にフィットしないことが判明して解雇になる場合もありますよね。前述のGoogleのレポートでは選考時の評価は当てにならないわけですし。であれば、そもそも選考に手間をかける必要はあるのでしょうか。条件面で全くフィットしない人材は弾いたとしても、それ以外の人はとりあえず採用して試用して、フィットするようなら最終的に正採用するというのもありじゃないでしょうかね。というのが私の考える気軽に転職できる社会の姿です。

説明が十分できてないような気もしますが、たいがい文章が長くなったので一旦ここで終了にします。また考えが整理出来たら追記します。