同人誌には何をどこまで書くのか

2020/12/7作成

私が同人誌を作る理由で書きましたとおり、私は文章系の同人誌を作っています。というか現在も進行形で、年末のイベント合わせの原稿を書いている合間にこうしてこの文章も書いています。

同人誌の原稿を書いていて思ったんですが、私って思っていること書きたいことを全部書いてしまっているよなぁということ。いやまあ、思ってることを書くのも、書きたいことを書くのも当たり前なんですが、問題は全部をというところですかね。

理想的な本の作り方というのは、まず最初にテーマとターゲットを決めます。テーマとターゲットに沿って構成を考え、原稿を書いていきます。このとき、書かれた文章がテーマから外れていたら、その文章はカットします。そうしてテーマに沿った本ができあがります。余計なことはそぎ落とし、テーマを伝えるために構成された本です。

本に限らず、商業的に作られているコンテンツは、基本的にはこの手順に沿っていると思います。まあ、多少の逸脱はあるでしょうけれど。商業的な作品作りというのは、作者の作りたいものを作るのではなく、消費者の欲しいと思っているものを作るわけですから。もちろんそこには重なり合う部分もあるわけですけれどね。

一方同人誌です。同人誌もコンテンツには違いないですから、商業的なコンテンツと同じように作っても問題ありません。というか、そうして作られている同人誌もたくさんあるでしょう。でも作者の作りたい本を作ってるのが基本かなぁ。

これって、アマチュアバンドが、自分たちのやりたい音楽をやるのか、ファンが求めてる音楽をやるのかで揉めるような話でもありますかね。読者が読みたいと思ってる本を作るのか、それとも作者が作りたいと思ってる本を作るのか。もちろんどっちが正解というわけではありません。商業でやってるなら読者が求めるものを作るべきですが、趣味でやってるのならどっちであろうとも、本人がそれをやりたいと思ってることをやるのが正義だと思います。読者が読みたいと思ってる本を作るのも、読者が読みたいと思ってる本を作りたいと思って作ってるのなら、それでいいと思います。もちろん儲けたいから売れる同人誌を作りたいってのも、それはそれでOKだと思います。

いつものことですが、なかなか話がうまくまとまらないな。要するにですね、私が今作ってる本だと、自分が作りたいと思ってる本を作ってることになってる。それはそれでいいんだけど、作りたいというか、書きたいと思ってることを全部書き出してしまってる。少々横道にそれるエピソードとかも、商業的なコンテンツならカットされるでしょうが、それも全部カットせずに盛り込んでしまってる。結果的に自分としては言いたいことを全部書き出したので満足してるけど、読者としては冗長でだらだらして主題のはっきりしない文章を読まされてしまっている。ああ、こうして解き明かしてみると、なんか自分が如何に自己満足にひたっているかってのが明らかにされていまって、うわああああって気持ちになりますな。とういうか、ここで明らかにしたロジックって、このサイトで書いてる文章にもまんま当てはまっていて、そこでもうわああああって気持ちになってるわけですが。

多分ですが、売れる同人誌にするためには私の作り方ではダメなんだと思うんですね。実際、私の作る同人誌はあんまり売れてませんし。売るというと語弊があるので頒布と言わなきゃならんというのがかつての同人文化にはありましたが、最近はあんまり言いませんかねぇ。

ま、ともかく売れるようにするには、商業的な読者の読みたいと思ってる本の作り方をするべきなんだろうと思うんですね。そうすれば売れますから、売りたいという欲求は満たされるでしょう。絶対売れるとは限らないけど。売れることが大事というと即物的商業的な価値観のようにも思えますが、実際のところ売れるというのは非常に大事なことで、逆に売れないというのはとても心を折られることでもあるのです。作った本をコミケに持って行って、見本誌と知り合いに配った分を除いてそのまま持ち替えるときの惨めな気持ちと言ったら。。。ああ、思い出してちょっと涙でそうになってきた。

では売れるために商業的な作り方に変えるかというと、多分変えない。いや、いつか変えるかもしれないけど。ゼロイチでもないんで、部分的に取り入れるかもしれないけど。でもやっぱり書きたいことを全部書き出しちゃうと思います。だってそれが自分のやりたいことだから。とりあえず全部書き出しちゃう。本にしちゃう。だらだらした文章だけど気にしない。そして書き出してから、あとから考える。どうしてももっと広く知って欲しいテーマだったら、再構成した本を作り直すかもしれない。今はそんな気持ち。

ということで、同人誌も、このサイトも、今後もだらだらした文章が書き連ねられることになると思います。はい。