なんで謝ったら死ぬのか

2020/7/14作成

失言したりとか不祥事を起こしたりしたとき、当人が謝ったら死ぬんかとツッコミを受けるほど謝らないことってありますよね。間違ってる人に間違ってると指摘してもしょうがないんじゃないかという仮説でその原因を人はなかなか自分の過ちを認められないと考察したことがあるのですが、他にも原因はあるのではないかと思ったのでメモしておきます。

なぜ謝らないかというと、それは謝ったら死ぬから。死ぬからといっても文字通りの意味ではないですが、社会的経済的に死ぬという意味です。

たとえば、とある政治家のセンセイが失言をしたとしましょう。マスコミや世間が一斉に糾弾しますが、センセイは失言を失言と認めませんし、謝ることもしません。なぜなら、糾弾してるマスコミも世間も、自分にたいして票を入れてくれるわけではないからです。失言を認めて謝れば世間もマスコミも納得するでしょう。でも数日も経てばセンセイのことを忘れます。次の選挙の時に票を入れてくれることもありません。そもそも選挙区民ではありませんしね。

一方、謝ることで支援者や選挙区民は離れていきます。センセイ本人が失言を認めたわけで、センセイが悪い人だったってことになります。謝ったってことを情けない根性なしだと評価するような人もいるでしょう。こうして支援者が離れていったら、次の選挙では確実に落選しますし、そもそも支援者がいなければ政治活動もろくにできないわけですよね。また、世間やマスコミの糾弾が激しくなると、センセイと支援者の絆が固くなるという効果もあり得ます。弾圧に耐える俺たちという仲間意識ですね。カルト宗教などもこれを同じ様な仕組みで結束を固めてますよね。

つまり、センセイ自身に失言の認識があって謝るべきだなぁと思ったとしても、謝ることは自身の利益にならないわけです。むしろ謝らない方が利益になる。だったら謝るわけないよなぁと思った次第です。

(2020/7/24追記)

明らかに自分が間違っていると自覚していたとしても、自分は間違ってないと堂々とするというのも一つのテクニックとしてありますかね。そして、そんなに堂々としてるんだったら、もしかしてあの人の方が正しいのかもと勘違いしてくれる層も一定数存在したりもします。

身もふたもない話ですが、そうやって強弁してやり過ごしている間に、世間やマスコミの興味が他の新しい話題に移っていってしまうということも往々にしてあります。それなら下手に謝罪するよりも、嵐が過ぎるのを待ってた方が得策というのも、それはそうなんでしょうね。そもそも、ほとんどの不祥事は話題になることすらありませんから、自分から謝罪してわざわざ話題にする必要もありません。

とまあ、まるで炎上した際の逃げ方指南のようなことを書き連ねてしまいましたが、別に炎上したらこうしたらいいよといいたいわけではなく。失言したり問題を起こしたりした人が謝らないのはこういうロジックだろうなということです。要は相手方の手の内はこうなっているだろうなということなので、ではこちらとしてはどういう手立てを取ればいいんだろうかなということを考えたいという話なんです。

(2020/8/9追記)

謝ったら死ぬ人に対してどうしたらいいかを書いてませんでした。上で書いた通り、失敗した当人は謝りません。取り巻きの人たちも間違いを認めません。ではどうせ謝らないし過ちを認めないなら放置しておけばいいかっていうと、そういうわけにはいかないんですね。なぜなら、失敗した当人と取り巻きの人たちが、自分たちが正当であったとデマを流し続けるから。経緯を追ってない第三者が過ちを犯した人のデマを聞いたときに、うっかりとそれが正しいんだと信じてしまうことがある。それを防ぐために、過ちは過ちであるという情報を流し続けないといけない。正直、なんでそんなめんどくさいことをしなきゃならないんだと思わなくもないですが、これも民主主義において必要なコストなんでしょうね。