趣味は自分のための趣味でいいんじゃないのか

2020/6/19作成

趣味とは100%自分の為に行う行為のこととか大人の趣味、子供の趣味とかで書いてきたことの繰り返しみたいな話です。要約するとタイトルの通り、趣味は自分のためにやっていいんじゃないかって話です。

ここ10年か20年くらいのことだと思いますが、大きなスポーツ大会があるときに選手の人が「日本を元気にしたい」「感動を届けたい」というような抱負を語ることがあります。個人的に、これスゴい違和感あるなぁと思ってるんです。

まあ、この発言自体も歴史の流れをみてみると、しょうがないかなとも思うんですよ。昔はこういう時って「お国のために頑張ってきます」って言ってたと思います。円谷幸吉さんの時代とかそうだったんじゃないですかね。そうやって出征兵士のように送り出していた。でもプレッシャーが大きすぎたのか、実力を発揮できずに惨敗することもあった。その反省からか「思いっきり楽しんできたいです」って言う選手が増えてきた。これはいいなと思うんですが、今度は外野から文句が出るようになった。曰く「税金で派遣されるくせに個人的な楽しみにするなんてけしからん」と。正直なんじゃそりゃと思うんですが、そういう声が大きくなったことからか、「感動を届けたい」ってのが言われるようになったのかなと。だから選手が本心から言ってるというよりは、いろんなしがらみの中で無難な言い方として落ち着いたって面はあるような気がするんです。実際はどうか知りませんが。

プロスポーツの場合、競技であるとともに興業でもありますから、観客を喜ばせる為に頑張るというのは、それはそれで正しいとは思います。実際、スポーツで頑張ってる姿を見て感動することも、元気を貰うこともありますね。ただ、それって多くの人が応援するようなトッププロの話だと思うんですね。たとえば私は趣味でマラソンを走ってますが、べつに日本を元気にしたいと思って走ってませんし、そもそも私が走ることで日本を元気になんてできません。では私が走ることに意味がないかっていうと、そんなことはありません。私は私が楽しいから走ってる。私は私自身のために走ってる。他人のためではない。単純に二元論で分けると、他人のために何かをすることが仕事で、自分のために何かをするのが趣味だと思ってます。

これまた自分語りで恐縮ですが、最近サックスを始めたんですよ。今までの人生、音楽とは全くもって無縁だったんですが、なんか突然始めてしまったんですね。そして、これがまた当たり前なんですが、めちゃめちゃ楽しいんですよ。あ、楽しいのは私にとってですからね。万人が必ずサックスが楽しいとは限りません。当たり前のことなんですが、そういうところに突っかかってくる面倒な人も世の中にはいるので、念のために書いておきます。

でですね、サックスを吹くのって楽しいんですよ。もちろん客観的に聴いたらど下手くそですよ。間違っても私のサックスを聴いて感動する人は一人もいません。でも私自身は感動しまくってます。めちゃめちゃ楽しい。趣味だったらそれでいいんじゃないかなと思うんですよ。

楽器を始めたら、すぐにバンドを組もう、次はライブをやろうという話になったりします。バンドで演奏する楽しさもあるでしょうし、ライブで人前で演奏する楽しさもあるでしょう。でもライブで集客を増やすために、どんな曲がうけるかとか、どんなメッセージを届けたらいいかとか考え始めると、それは果たして趣味なんだろうか。楽しいんだろうか。いや、楽しくもあるんでしょうけれども。それにプロを目指していつかは武道館とかいうのなら、それは必要なステップではあるとは思うんですが、素人が趣味でやってるならそこまでしなくても、自分自身の楽しみを優先していいんじゃないかなとも思うんですよ。

プロスポーツ選手が仕事としてプレイを頑張る。プロミュージシャンが仕事として演奏を頑張る。それはそうでしょう。本心からスポーツや音楽を楽しみながらやってるプロもいるでしょうし、実は情熱はだいぶ冷めてしまってるんだけど仕事として半ば惰性でやってる人もいるでしょう。でもまあ、それは仕事だからある程度はしょうがない。でも、趣味でやってる人なら、それはもう自分自身を最優先にしていいんじゃないですかね。

例によって何が言いたかったのか自分でもよくわからなくなってしまいましたので、特にまとめることもなく終わってしまいます。また自分の中で整理出来たら追記するかもしれません。