被害者のいる犯罪といない犯罪

2019/9/29作成

芸能人が犯罪を犯して作品が非公開になることについてつらつらと考えているなかで、犯罪は被害者の有無で分類することが出来るんじゃないかなという気がしました。ぐぐってみると、1960年代になってそういう概念が提唱されたそうです。

被害者のいない犯罪とは、麻薬の使用とかですね。他にポルノとか売春とか堕胎とか賭博とかもそう言われているそうです。ポルノや売春は被害者がいるとも言えるし、堕胎は胎児が被害者ですよね。動物虐待は動物が被害者だし。法律的に胎児や動物は人権を持ってないから被害者扱いされてないだけで。逆に、非実在青少年で騒がれた二次元児童ポルノとかは被害者がいませんね。

麻薬についても、麻薬の生産や流通の過程で被害者が存在したり、麻薬で得た利益でマフィアが別の犯罪を犯したりという話もありますが、そこは二次被害とでもいうもので、直接的な被害とは分けて考えるべきでしょう。

さて麻薬の使用が被害者のいない犯罪であったとします。使用者自身が被害者という説も成り立ちますが、自分自身を害することは一般的には犯罪ではないですよね。自殺は自分自身が被害者でも加害者でもありますが、加害者死亡で罰することが出来ません。では死なない自傷行為って傷害罪になるんでしょうか。どうなんだろう。自傷行為で処罰されたとか聞いたこと無いけど、自分の知見が世の中の全てでもないから、私が知らないだけで実は傷害罪が成立するのかもしれませんが。

自傷が傷害罪にならないとしたら、麻薬で自分自身を害することはいよいよ被害者がいない犯罪になりますかね。自分自身が不利になるような行為を認めるかどうか、愚行権を認めるかというのは犯罪かどうかとは別の次元で難しい問題ではありますが。個人的には愚行権は認めてもいいんじゃないかなとは思いますが。

古来犯罪とは被害者のいるものだったのに、なぜ被害者のいない場合でも犯罪として社会で禁止しなければならないかというと、それは社会の安定のためですよね。麻薬は私は使ったことはありませんが、とても気持ちがいいものなんですよね。でないと使う人がいないわけですから。人は易きに流れるものですから、禁止されてなくて気持ちいいものがあれば、それは多くの人が夢中になることは容易に想像されます。麻薬が無害なものであればそれでもいいんですが、実際には様々な害がある。アヘンを大量に持ち込まれた清は国中大混乱になったわけですし。反社組織の資金源になりやすいということなどもあって、麻薬は非合法になっている。でも一方で禁止すれば闇取引が横行してかえって社会を混乱させることもあるので、大麻は合法という国もあったりする。お酒もドラッグの一種ですが、禁酒法を施行したアメリカは社会が余計に混乱した。合法として管理下においた方がうまくいく場合もあると。社会的な利益不利益で犯罪となったり犯罪とならなかったりするのが、被害者のない犯罪の特徴でしょうか。

ここまで長々と書いてきましたが、ここからがようやく本題です。犯罪に被害者の有無で区別があるとして、法律的な量刑の軽重はそれぞれの犯罪ごとに決まっています。刑罰には法廷刑の他に社会的な制裁もあります。いきすぎた制裁は私刑になって問題ですが、ある程度は仕方のない部分もあります。具体的には元犯罪者は白い目で見られるとかですね。この社会的な制裁って、被害者の有無が大きな影響を与えるんじゃないかという気がするんです。実際には被害者の居ない犯罪の方が社会的には許されやすいんじゃないかなという気がしたので、こうして書き留めています。

元記事では性犯罪と麻薬犯罪の二人の芸能人について言及しました。このうち、性犯罪を犯した方の方は被害者が居ますので社会的に許されにくい。具体的には刑が確定して服役した後でも、芸能界に復帰するのが難しくなるのではないだろうか。まだ裁判中ですから有罪になるかどうかもわかりませんけどね。一方、麻薬犯罪の方は刑が確定しています。執行猶予期間全てかどうかはわかりませんが、ある程度の謹慎期間は必要でしょうね。そして薬物中毒の治療。それらが進んだ後、芸能界復帰という話は出てくるでしょうが、そのときに被害者が居ないことで許されやすい雰囲気というのはあるのではないかなぁ。

なぜ被害者が居ないと許されやすいかというと、被害者がいる犯罪を犯すことに対する拒絶反応が強いのではないかな。殺人だろうが強姦だろうが窃盗だろうが、被害者が居る場合はその被害者が受ける苦痛が存在するわけで、その苦痛に対して気持ちが働かないというのは、社会性の動物である人間として拒絶感が強いのではないかなと。そんな風に思ったので書き出してみました。もっとも、最終的に社会がゆするかどうかってのは基準は一律じゃなかったりもしますけどね。


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