人生のボーナスステージ

2017/10/18作成

ふと、人生にボーナスステージってあるよなぁということに気がつきました。厳密にあるのかどうかはわかりませんから、そうかなと思っただけですが。

私は今はそれなりの年齢のオッサンで、いわゆる子育てと介護のダブルパンチを受けている世代です。もちろん私よりも苦労している方が多数いらっしゃるのは重々承知のうえでですが、それでも私もそれなりに子育てと介護に時間を取られてしまって、なかなか大変な思いを日々しています。

子育ても介護も大切な家族との時間なんで無駄でもなんでもないんですが、それでも自分の為に費やせる時間というのはどうしたって限られてしまいます。それでも私は比較的いろいろ自由にやりたいことをやってる方だとは思いますが、もっと時間があればあれもやりたいのにこれもやりたいのにと思うこともあります。まあ、時間がないってのはただの言い訳でであって、そんなことを言う奴は時間があったって何もしやしないって話もあるんですがね。それは今回は少々脇に置いといて。

そういう自分の時間がなかなか取れないなぁと思ってる中で、ふと同僚の若手社員をみたときに思ったんです。自分が彼らの年齢の頃って、かなり好き勝手してたよなぁと。あれもこれも自由にやりたいことをやってたよなぁと。それってもしかして人生のボーナスステージなんじゃないだろうかと思ったわけです。

人生のボーナスステージとは、具体的には20代から30代くらいの世代で、独身もしくは結婚していても子供が居ない人が当てはまると思います。もちろん、この条件にあてはまる人が全員ボーナスステージにあるとは言いません。人それぞれ様々な事情がありますから、傍目には気楽にしてそうに見えるけど実は大変な日々を過ごしてるという方も多数いらっしゃるとは思います。それは置いといて、あくまでも一般論としての比較的若い世代の方というわけです。

この世代の方というのは、要するにまだ親世代は健在だし現役世代だったりもするので介護など全く不要。子供が居ないので子育ても不要。社会でもまだ成長途上で重責のあるポジションを与えられているわけでもない。つまり、自分に費やせる時間がたくさんある状態なわけですね。加えて言えばお金も自分にだけ費やしても問題ないとも言える。自分の自由に使える時間とお金がある状態で、そこで自由に思いっきりいろんなことをするのって、実は人生という長い時間のなかで大切なことなんではないかなと思ったんです。

思いっきり自由にやりたいことをやる。たとえば海外旅行でも留学でもいい。趣味に限らず、仕事だって残業し放題で経験を積めるのってこの世代だけに限られた特権なんですよね。ブラック労働を肯定する気はさらさらないのですが、現実の問題として仕事に費やした時間というのは経験値の差になって現れるわけです。違法でなく、心身を壊さない範囲であれば、長時間働いた方が仕事の上で成長するのは間違いないわけです。子育てや介護が始まってしまうと、残業したくてもできなくなってしまいますからねぇ。なので、出来るときに頑張って経験値をあげておくというのは有効なのかなと思うのです。

別の言い方をすれば「若い頃の苦労は買ってでもしろ」ということでもあるのですが、別に苦労だけをする必要もないんですよ。苦労でも遊びでも、要するに金や時間を思いっきりかけた経験を積むといいんじゃないかなということなんです。

仕事を思いっきりやれとかいうと「老害による武勇伝ね」って思われるかもしれませんが、それとは違うんです。通じる部分もあるんですけどね。別に自分が若い頃無茶をしたので今の若者も同じようにしろっていうんじゃないんですよ。何をやるかは自分で選び取っていいんです。押しつける気はありません。ただ、金と時間の自由度が高いときにそれらを有効に活用するといいですよってことなんです。人生のなかには、金も時間も自由にならない時期ってのはどうしたって出てきますからね。

ということで、人生のボーナスステージにある若手社員のみなさんには、今のうちにアイテムをかき集めておけよと声をかけたいところなんですが、そんなことを言ったって単なるウザいおっさん扱いされるだけなのは目に見えているので、ここでこっそりと吐き出すだけにしておきます。

(2018/1/3追記)

このような記事を見かけました。

可能性がないほうが快適

要約すると「若者には無限の可能性があるから挑戦しろという圧力が苦しかった。中年になってそういう圧力から解放されたら楽になった」ということだそうです。なるほどねぇ。そういう考え方もあるか。私の書いたことって、まさにこういうプレッシャーをかける側の意見のように見えますよね。でもそれは違うと思ってるので、どう違うか少し説明したいと思います。

この記事の筆者は、挑戦といっても主に恋愛方面のプレッシャーを強く受けていたそうですが、私は別に恋愛に限って行動しろと思ってるわけではありません。もちろん恋愛をしたければ恋愛すればいいのですが。私は何でもいいので、自分がやりたいことをやるといいと思っています。そういう意味ではこの筆者の方も今は自分のやりたい趣味を楽しんでいらっしゃるようなので、それでいいのではないかと思います。人生の中で寝食を忘れて趣味に没頭する期間というのがあれば、やっぱりそれはそれで自分の人生を豊かにするのではないかと思います。世間的には評価されないかもしれませんけどね(^^)。

結局は、人生の中で可処分時間というのは決まっていて、それは特に若い頃に多く配分されているということだと思うんですよね。いろんなものが乗っかかってくる中年以降になると、可処分時間は減ってしまう。その貴重な可処分時間を自分がやりたくないことに費やすってのは、やっぱりもったいないことだと思うんですよ。だから筆者は自分のやりたくない恋愛に時間を費やしてしまったってのは勿体なかったのではないかと思うんですね。それよりも好きな趣味に没頭する方が、この筆者自身の人生は豊かであったのかもしれないと思うわけです。

もっとも、世の中には可処分時間が与えられても何をしていいか自分で考えられないという人も居ます。そういう人は自由な時間を与えられても自発的には何も行動できないので、むしろ誰かに何をしたらいいか指示して貰った方がありがたいと思ったりもします。個人的にはそれって自分の人生を生きてないなぁって思うんだけども、まあそれはそれ最終的にはそれぞれの人生はその人自身のものですから、好きにすればいいと思います。この筆者の場合は、可処分時間を持て余すタイプではないような気がします。ただ、周囲からのプレッシャーに負けて自分の本意ではないことに時間を費やしてしまった。今はプレッシャーが弱まったので自分の好きなことが出来ている。そういうことではないかなぁという気がします。

(2018/1/11追記)

無茶をした経験と言っても具体例がないとイメージがわかりにくいかなと思ったので、例として自分の経験をあげてみます。当たり前ですがこれらが全てすばらしいというわけでもありませんし、これらの経験を全ての人がしなければならないというわけでもありません。自分がやりたいとおもったことをやれればそれでいいと思います。また、これは「俺はこんなすごいことをしたんだぞマウンティング」でもないつもりなんですが、そこんところは伝わりますかねぇ。

・バイクに乗った

ツーリングレポートにあるとおり、私は社会人になってから自動二輪の免許をとってバイクツーリングを始めました。最初はおっかなびっくりでしたが、だんだん大胆になって日本一周とかオーストラリアとかのツーリングにも出かけました。死んでてもおかしくない交通事故にもあってますのでバイクに乗っててよかったというと微妙ではあるのですがね。今でもバイクに乗りたいという気持ちはあるのですが、金銭的時間的な余裕がなくて乗れてないです。

・スキーを始めた

20代の頃にかなりスキーにもはまってました。シーズンになったらほぼ毎週どこかのゲレンデに出かけてましたし、一度だけですがスキー好きの友人と一緒にウィスラーにまで行ってヘリスキーにもチャレンジしました。今では家族で年に1回行くくらいになってしまってます。

・南極に行った

新婚旅行で行った先は南極でした。旅好きの人が世界中をあちこち行って最後にたどり着くのが南極かガラパゴス諸島と言われてるそうですが、私は初めての海外旅行が南極でした。日本から直行便がでてるわけではありませんので行きも帰りも大変でしたし、費用も目の玉が飛び出るくらいにかかりましたが、これは間違いなく行ってよかったです。また行きたいかというと、とても行きたいのですが、時間的にも費用的にもとても難しいですねぇ。

・ホノルルマラソンに行った

30代になってから始めたマラソンですが、最初からホノルルマラソンに出ることを目標にし、実際に2回走ってくることができました。2006年2007年。マラソン自体は今でも続けてますが、ホノルルマラソンに出るのは、これも時間的に金銭的に難しいですねぇ。もう一度くらいは行きたいのですが。

・無茶苦茶仕事した

はい。定番の老害の武勇伝です。特に20代の頃は無茶苦茶に仕事しました。だからってそれを若者に強制するつもりはないんです。無茶苦茶してましたので、過労死しててもメンタルやられててもおかしくなかったのは事実でして、たまたま私が生き残ったのは運でしかありません。実際、メンタルは後にやられてしまいましたし。ただ、そうやって働いた経験というのは間違いなく今の私を形作っている要素の一つなんですね。それは絶対に否定しない。同じことをやれと若者に強制はしませんが、無茶をすることによって得られる経験もあるんだよということは知っておいて欲しいと思います。同年代の中に一部の人はこれからそうした無茶をして、他の人がたどり着けないような領域に行ってしまうという仕組みは理解しておいてほしい。繰り返しますが、だからとって万人に無茶をしなさいと強制するつもりは毛頭ありません。