「なぜ人は締め切りを守れないのか」読書メモ

2026/8/12作成

「なぜ人は締め切りを守れないのか(ISBN:978-4-911288-20-7)」を読みました。うーん、全然わからん。

タイトル的にビジネスハウツー書かと思ったけど、全くそんなことはない。そもそも締め切りとは、さらに言えば時間とは何かを問い直す哲学書。なんじゃそりゃ。いや、哲学書というのも言い過ぎではあるんだけども。所詮は一般書だしね。ほんとの哲学書なら私なんぞには1ページも読み進められないはず。でも本書にはあちこちで哲学からの引用があって、それはそのはずで筆者の専門は哲学。それは失礼しました。正確には「分析美学とポピュラーカルチャーの哲学」だそうだけど、これは美学なのか哲学なのか。それすらわからん。

ともあれ本書。本書では時間を物理的な時間と生きている時間に分けて定義する。正確な理解ではないかもしれないけど、物理的な時間は客観的な時間で、生きている時間は主観的な時間というように解釈した。プロジェクトによって物理的な時間に基づいた締め切りが、生きている時間を寸断することで私たちの人生が棄損されていることが本書のテーマというように理解した。そもそも時間にそのような違いがあることを考えたこともなかったので、そのようなメタ認知を示唆されたのは大きな収穫かな。

ただ、そこから先についてはイマイチというか。筆者は昔はローカルな時間だけで過ごせていたというけれど、それは社会の規模が違うからという観点が指摘されていない。中世以前の農村は社会規模がせいぜい村程度で、村の社会を維持するには厳密な時間管理は必要なかった。その後社会の規模が巨大化し、現代は地球全体を一つの社会として生活している。このような巨大な社会を運営するためにプロジェクトが導入され、厳密な時間管理が行われるようになったのではないかなと思うけど、どうだろう。

「時は金なり」という言葉を批判しているけど、これもどうかな。筆者は金銭はモノの価値と交換可能としている。一方時間は価値との交換が計測できないから、時間を費やすことが軽んじられてきたと説く。でもどうだろう。時間だって客観的な時間は計測可能だし、時間やお金と交換されるモノの価値自体は計測不可能なんだよね。「6000円のジャケットの価値」って書かれてるけど、お金の6000円の価値は計測できても、ジャケットの価値自体は計測が出来ないんで。「時は金なり」という言葉の意味は、時間もお金もどちらも定量化可能であり、他のモノと交換可能な性質を持っているという意味の言葉だと私は理解しているんだけども。

筆者のいう「いい時間」というのもイマイチ理解できない。そもそも時間の過ごし方に「いい」と「悪い」を定義可能なのかどうかというところを論じていない。私の読み落としだったら大変申し訳ないけど。時間の過ごし方として、良くもあるし悪くもあるということはあるし、とのときはいいと思ったけどあとから悪いと分かったというようなこともあるので、いいと悪いと明瞭に2値化できるというスタンスはどうかと思う。

プロジェクトと締め切りに侵食されない、いい時間を過ごす方法があるはずだという問題提起は分かるけど、結局本書では具体的には提示されなかったのではないかな。これも私の読み落としだったら申し訳ないけど。これからみんなで一緒に考えようということならそれはそれで分かるけど、1冊の書籍としては物足りなさを感じる。

最後に死という人生の締め切りを論じているなかで、結局人は締め切りがあるから何事かをなすことが出来るという結論になるのは、論理的には納得するけど、本書をここまで読んできた読者としてはちゃぶ台返しを食らったような気がするかな。

一晩寝かして追加で考えた。

時刻合わせを行わなかったことで発生した列車事故の話が書かれていて、それを契機に時刻合わせが行われるようになったとある。それはまさにシステムが巨大化する中で必要に迫られる時刻合わせだけど、結果として個々人の時間の主体性は奪われることになる。アーミッシュとかヤマギシ会みたいに昔の生活に帰ろうとシステムを否定するのも考え方の一つではあるけれど現実的ではない。個々人の社会システムとの付き合い方を考える方法としてはミニマリズムとかロハスとかあるのかなという気もする。全体の社会システムの時刻同期と、個々人の主体的な時間の使い方をどう両立させるかを考える本というのが今の私の解釈かな。