昨今のAIに思うこと

2023/5/7作成

昨年の後半くらいからですかね、AIの進化が世間を大変騒がせています。なかでも画像生成AIとChatGPTなどのテキスト生成AIでしょうか。どちらも従来のAIとはかけ離れた性能を見せつけており、その進化の具合はすさまじいなぁと思わされるものがあります。ということで、現時点でのこれら新世代AIに対する自分なりの考えを整理しておこうかなというのがこの記事の趣旨になります。なお、私自身はAIの専門家でもなんでもありませんし、なんなら話題のAIも一般向けニュースで知ってる程度で実際に自分で使ってみたことすらなかったりします。まあ、所詮はその程度の素人が適当に書き連ねてるたわごとということで。この見解が正しいというわけではなく、現時点での私の思考のメモということです。今後いろいろ調べてこっから考えが変わっていくだろうと思いますので、その軌跡を記録しておくものです。

これらのAIですが、確かに性能は素晴らしいです。素晴らしいんだけど、所詮はAIだよなという気もします。凄いのは、人間が作るモノとそん色ないか、場合によっては上回るモノを作り出せること。まだまだだなぁと思うことは、作りだしたモノのうちどれが良いかをAI自身は判断できないことと、所詮は全てもとになる素材があってAI自身が真の創造は行っていないこと。AIの性能の素晴らしさはここでいちいち書かなくていいですよね。既にたくさんの人がたくさん書いてくださっているので。ということでイマイチだなと思うところについて書きます。

たとえば画像生成AIに「ネコのイラストを100枚描いて」と頼めば、あっという間に100枚描いてくれるわけです。人間のイラストレータが描いたら何時間も何十時間もかかるような凝ったイラストがあっという間に生成されます。しかし1枚1枚をよくよく見たら、足が5本あったり、鼻と口の位置が入れ替わっていたりと微妙におかしなイラストになっていたりもします。これはイラストを描く方法が人間とAIで全く違うんですよね。人間は全体の構図を考えてモノの構造を描き表していくわけです。人によって絵の上手い下手はありますが、足が5本あるネコを描くことはまずありません。一方AIは良いと思われる素材のパーツを切り張りして描いてると思うんですね。いわばパッチワーク。だから全体として見たときに絵として破綻したものでも平気で出してきたりする。逆に言えば、そこを克服すればAI絵は更によくなる可能性があるとも言える。

そしてそんな破綻したイラストを出しても平気なのは、AIはイラストを生成できても、そのイラストが適切なものであるかどうかを判断できないという事。ましてや、100枚のイラストから今回の使用目的に合致しているかどうかとなると、AIにはお手上げですね。そこは人間が判断するしかない。つまり、AIと人間との作業分岐点としては、手を動かすのがAIで、判断するのが人間という段階かなと思います。自動運転レベルで言えば1か2の段階と言ったところ。まだ運転主体がAIになるレベル3以上には至っていない。あなたが発注主であるならば、当面AIに仕事を奪われる心配はありません。一方、クライアントからの注文に従って手を動かしている場合は、容易にAIに置き換えられてしまうかもしれません。

画像診断などは以前から人間の医師よりもよほど診断成績が良いと言われていました。ですが最終的な診断って画像からだけでは行わないですよね。他の検査の結果も合わせて総合的に判断される。画像診断の結果だけで手術されたりしたら怖いですよね。ではAIは役に立たないかっていうとそんなことは無い。人間の便利なアシスタントして使えばいいわけです。人間とAIのそれぞれ得意な領域をそれぞれに担当させればいいわけですよね。ちょっとした計算をするのに暗算で行う人もいるでしょうけれど、大抵は電卓を使います。それは電卓の方が計算が得意だからですよね。そこを人間でなければというのは非効率だと思います。

今のAIって極論するとシェイクスピアを書ける可能性が格段に向上したサルというところかなと思います。キーボードをランダムに打つしか出来ないサルがシェイクスピアを書き上げるのに比べれば、少なくとも破綻しない文章を作成できるAIの性能は格段に上です。ですが、シェイクスピアを書くのにはまだ遠い。そしてAI自身は書き上がった文章がシェイクスピアであるかどうかは判断できない。そんなところかなと思います。

AIの性能があがると、人間の仕事をAIが奪うという話が出てきます。まあ、それ自体は話題として面白いし、誰しも興味がある話だろうとは思いますからいいんですけれども。ただ、個人的には職業単位ではなく業務単位でAIへの置き換えが進んでいくんじゃないかなと思ってます。

例えばAIによって人間の医者が要らなくなるって話がありますよね。でも人間の医者がやってる業務ってものすごく多岐に渡ってるんですよ。多分。私自身は医者ではないので想像でしかないのですが。私自身はIT技術者なのですが、日々の業務の中でこれはITスキルなくても出来るよねってものは結構あります。毎日プログラムを書いてるばかりではない。トータルでみたらプログラムを書いてる時間って業務時間の半分以下だったりします。多分医者の業務もそんな感じで回ってるんじゃないかと思います。上で書いた画像診断などはその一つだと思うんですよね。画像診断という業務はAIに置き換えが可能かもしれませんが、他の検査結果も付き合わせて最終的に診断を下して治療を行うのは医者の業務なわけですよね。

よく言われるのは、AIによって単純作業は置き換えが進み、人間は創造的な仕事だけを行うようになる。それはそうなんですが、ここでいくつか注意が必要です。まず一つは世間的に創造的であると言われている職業も、実際にはルーチンワークであってAIに置き換え可能だったりもすること。もう一つは、創造的な仕事が人間に残されたとして、すべての人間が創造的ではないということ。創造的なスキルを持ってない人はAIに仕事を奪われて失業してしまう可能性が高い。

要するに今のAIって便利な道具が出現しただけのことではないかというのが今の私の捉え方です。電卓が登場してそろばんで計算しなくてもよくなりました。ワープロが出現して手書きで書類を書かなくてよくなりました。それと同じようにAIによって様々な業務が置き換えられるようになった。でも、最終的になにが必要であるかを考え、成果物が目的に合致しているかどうかを判断することは人間にしか出来ない。その必要なものを考え、合致しているか判断するというのが創造的な仕事というものではないかと思います。絵を描くとか文章を作るとかは、実は創造的な仕事ではなかったってことですね。

今のAIは判断が出来ないとしましたが、これに関してはちょっと注意が必要です。最終的に目的に合致しているかどうかの判断はいつまで経ってもAIには出来ません。何故ならなにが必要かを考えているのは人間だから。一方で、上述した足が5本の猫みたいな、あからさまなミスのたぐいは今後AIで検出可能になっていくものと思われます。人間がこれらのミスを見つけられるのは、これまでの人生で膨大な経験を得ることによってパターンを学習したからです。猫は足が4本というのもその知識ですね。そしてこの膨大な情報からパターンを学習するというのは、まさにAIが得意とするところなんですね。おそらく今後のAIでは人間にとって不自然と感じるものを出力することはなくなっていくものと思われます。足が5本の猫を見て所詮AIはこんなものとバカにしてたら、そこはすぐに足下をすくわれてしまいそうですね。

今のAIって画像生成にしてもテキスト生成にしてもですが、本質的にはパッチワークだと思ってます。既存の作品があって、それを分解してくっつけていますので、AI自身は元になる作品を作ることが出来ません。AIでいくら作品を作ったところで、既存作品のパッチワークにすぎないので素材は増えません。新しい素材を作るという点では人間の仕事は残りそうですが、それも未来永劫安泰とも言えません。人間だっていきなりゼロから何かを生み出せるわけではなく、既存の作品をベースに少しずつ改良しながら新しいものを生み出しているわけです。そこのノウハウがAI化されたとしたら、新しい素材を用意することもAIの独壇場になるでしょうね。

今のAIがパッチワークしか出来ないとしても、それはそれで非常に便利だったりもします。アイデア出しの方法の一つに異質なものを掛け合わせるというものがあります。人間がやる場合、どうしたって常識に縛られてしまって思いつかない組み合わせがあるのですが、AIはそんな常識には縛られません。あらゆる組み合わせを瞬時に試すため、人間では簡単に思いつかなかったものを容易に生み出すことが出来るでしょう。将棋AIでは、人間だと過去の定跡にとらわれて試せない手でもAIは躊躇なく試すため、過去数百年になかった手筋が次々に誕生しているそうです。

AIイラストなど、ぱっと見ためには高度な絵が瞬時に生成されるのですごいなと感じます。しかし、足が5本の猫みたいに細部におかしなところが残っていたりもします。ということは、人間が細部まですべてチェックしないといけない。また、おかしなところは人間が修正しないといけない。この手間は思った以上に大変だろうなぁと思います。瞬時にそれなりのレベルのものができあがるけれど、最終作品としてのレベルにもっていく手間はもしかしたらあんまり減ってないのかもしれない。そういう意味では今のAIってアイデア出しやラフ案を大量に出すような用途が向いてるんじゃないですかね。まだ最終作品をAIに任せるには不安が大きいし、最終作品にまで仕上げる人間の手間はそれほど楽になってない感じ。

思いつくままに書き出したのでかなりとっちらかった文章になってしまいましたが、とりあえず現時点で私がAIについて思ってることを書き出してみました。今後、AIについて知って理解が変わっていくたびに追記していくことにします。

(2023/5/11追記)

書こうと思ってたことを一つ忘れてた。今のAI、特にテキスト生成系のAIって、やってることは要するにウィキペディアと同じだと思ってます。ウィキペディアは世の中にある記事対象についての文献やネット文章を整理して記事が作成されています。まさにテキスト系AIがやってることと全く一緒ですね。それを人力でやっているのがウィキペディア、コンピュータで大規模に自動化したのがテキスト系AI。

なので、テキスト系AIに対する批判ってウィキペディアに対する批判と似てるんですよ。たまに嘘をつくってのもそうですね。参考にした文献に嘘が含まれているとウィキペディアの記事にも嘘が書かれます。編集者の自己研究や思い込みによることもありますけどね。

なので、テキスト系AIとの付き合い方をどうしたらいいかってのが盛んに議論されていますが、ウィキペディアンとしては、それは我々が10年前に通った道だって思う部分があります。あくまでもとっかかりとしての参考に使えるだけで、その内容の全てをうのみにすることは出来ないと。学生がレポートに使ったらうんぬんについてもウィキペディアについてで散々出てきた話ですしね。

ということで、個人的には特にテキスト系AIについてはウィキペディアの仕組みと共通点があるものだなという理解の仕方をしています。まあ、だからってテキスト系AIをウィキペディアの焼き直しと言いたいわけではありません。テキスト系AIが何者であってどう扱ったらいいかという議論に対して、ウィキペディアという先行事例があるので参考にしたらどうかというだけの話です。

また、テキスト系AIは単にウィキペディアの自動化だけという積りも無いです。量は質に転化しますから、人力では到底追いつけない量のまとめはウィキペディアとは全く異質の世界を作り上げるでしょう。どちらかというと、テキスト系AIで最初に駆逐されるのがウィキペディアであるということになるかもしれません。また、テキスト系AIは単に物量だけが凄いわけではないです。高度な自然言語処理技術によって可能になっているわけですから、その技術も凄いわけですよね。

(2023/5/13追記)

ドワンゴ従業員がクリエイターを揶揄する発言 取締役が謝罪「従業員に厳重注意してツイートを削除させた」

ドワンゴの社員がクリエーターを揶揄するツイートをして炎上してるということなんですが、実際のツイートを見てみるとこれで炎上するのかと思ってしまいました。そうか、これがだめなのか。これが炎上するのがわからないってことは、私も炎上の素質あるってことだな。気をつけよう。って、気をつけようがないかもしれんけど。

ともあれ、自分なりの考えるところをちょこっと書いてみようと思います。これ自体が炎上ネタかもしれませんが。

まずですね、ツイートで書いてることってとてももっともだなと思うんですよ。AIはまさにゲームチェンジャーなんですね。AIが登場したことで、社会のルールが変わってしまった。もう変わってしまったので、変わったことをいくら嘆いても、変わる前の社会には戻らないんです。これは個人の感想とか希望とかを無視した厳然たる事実なんですね。

自動車が発明されたことを御者は嘆いて、頑張って政治家を動かして赤旗法を制定させたけれども結局は馬車業界の凋落を止めることは出来なかった。それくらい厳然たる事実なんです。くだんのツイートはそういうことを言ってると思うんですね。事実は事実として受け止めろよと。嘆くのは自由だけど、嘆いたって時代は遡らないぞと。そういうことかなと思うんです。

とはいえ、そういう事実は多分みんな分かってると思うんですね。だから炎上したのもツイートの内容と言うよりも揶揄しているというニュアンスの話かなと思ってます。そういう視点で見てみると、まあもうちょっと書きようがあったかなぁという気はしないでもないし、揶揄してると言われればまあしてるかな。でも多分私も同じ流れなら同じような発言をしそうな気がしますね。やっぱり気をつけなければ。どうやって気をつけたらいいんだろう。

最後に補足というか、これ炎上したの江添さんですよね。江添さんをもってクリエーターで儲けさせてもらってるドワンゴの社員がという批判はスゴい違和感あるというか。だって江添さんって、ドワンゴの仕事は一切しなくていいという契約で入社した人ですよ。契約上は確かにドワンゴの社員ですが、実質的にドワンゴがパトロンになってるアーティストみたいな存在です。まあ、その契約の話も10年くらい前のことなので、今はもしかしたら江添さんもニコニコ動画のコード書いてるのかもしれませんが。

そんな江添さんですから、クリエーターのことを理解してるとは限らないし、クリエーターを支援してるとも限らない。新橋で飲んでるサラリーマンがインタビューに答えてるのと同じくらい外野の意見なんですが、まあそんなことは普通はわからんですよね。クリエーターによって得たドワンゴの収益で給料を貰ってるという点では、間違いではないんですが。

(2023/5/31追記)

AI時代のマインスイーパを作りました。頭を使ってマスを開くところはAIが勝手にやってくれるので、人間は勘でマスを開くところをやってください。
楽しい単純作業はAIに奪われて、人間の仕事は責任をとることだけです??https://t.co/R1uhg3PiJX pic.twitter.com/e0YDB6pkg3

— Yusuke Endoh (@mametter) May 29, 2023

「楽しい単純作業はAIに奪われて、人間の仕事は責任をとることだけです」というのは確かに。AI登場以降の、人間とAIとの関係を一言で言い表しているかもしれませんね。

(2023/6/2追記)

日本人が生成AIに苦手なことをやらせるのはアトムのせい

日本人はAIに人間に相当する知性を期待してしまい、その原因はアトムから連なる知性を持ったロボットアニメの影響という仮説です。なるほど、なかなか面白い考え方ですね。そのため日本人はAIに過剰な期待を抱いて出来ないことをやらせいようとして失望する、一方欧米人は最初から道具として期待すると。AIが人間の職業を奪うかどうかに話題が移りがちなのも同じ構造かもしれませんね。そもそもAIを人間と対等とみなしているから、仕事の置き換えが起きると考えているわけですから。

まあ、この仮説が正しいかどうかは分かりません。ツッコミどころはたくさんありますしね。ただ、AIに対して出来ないことをやらせようとして期待はずれになるよりも、出来ることをやらせて便利な道具として使った方がいいんじゃないかというのは道理だと思います。

この記事で間違った使い方として、調べ物につかうというのがあります。実際自分で試してみても思いますが、調べ物に使ってその回答が正しいかどうか判断できるのは、予め正解を自分で知ってる分野に限られるんですよね。つまり、そもそも調べる必要がないこと。自分が知らないことをAIに質問して、その回答が正しいかどうかは判断できない。ということはそもそも調べ物には向かないって話もあるわけで。せいぜい、調べ物のとっかかりとしてキーワードを羅列してくれて嬉しいとかそんな感じでしょうか。

ということで、AIが何が出来るのか、何をやらせるのが適しているのかってことを考えるのが大事かなぁと思いました。まる。