笑止千万な少子化対策

2013/2/18作成

希望の高齢化社会」で少し書きましたが、高齢化社会における社会負担対策としての少子化対策は無意味だと思っています。なぜなら、数多くの老人をこれまで通りの負担で支えるためには、今の数倍の人口が必要になってしまうからです。数倍で終わればいいのですが、このゲームはエンドレスです。数倍の人口が老人化した将来には更に数倍の人口が必要になります。しかも、この問題は日本だけではなく多少のタイムラグはあるものの世界中で起こるわけです。数十億の人口の数倍の更に数倍の更に数倍のとなると、もう無茶苦茶です。絶対に実現は不可能。なんでそういう理屈になるのか、少し詳しく説明してみたいと思います。

社会の時間に、人口ピラミッドというのを習ったことがあるかと思います。年代別の人口構成を棒グラフにして積み上げて表示したものです。ピラミッドと呼ばれる通り、一般的にはこの図は三角形の形をしています。つまり、年少の世代は数が多く、年をとるごとに数が少なくなる。老人世代になるとほんのわずかという構成です。

実はこの三角形型の人口ピラミッドというのは、政治や経済的に非常に理想的な形であったりします。多くの労働人口を擁し、社会で支える必要のある老人世代はほとんど居ない。こういう状況では政治も経済も容易にうまく回すことができますね。実際、こうした人口構成を"人口ボーナス"と呼んだりもします。こうした人口構成のもとでは政治はうまくまわり経済は大きく発展をします。実際、日本の高度成長期の人口構成もこのような形をしていました。

政治や経済にとって理想的な人口ピラミッドですが、実はこれは構成している個々人にとってはあまり幸福な状態ではありません。なぜかというと、年を経るごとに世代を構成する人口が減っていくということは、つまりはどんどん死んでいくということにほかならないわけです。言ってみればサバイバルゲームをしているような状態なわけですね。

なんでそんなに簡単に人口構成を変えてしまうほど人が死ぬかというと、理由はいろいろありますが、一般的には"低い医療水準"、"劣悪な衛生環境"、"栄養に乏しい食糧事情"などによる病死が主になります。治安が悪いとか戦争が起きたとかもありますが、それらの要因による世代の人口構成に与える影響はそれほど大きくありません。ほとんどが劣悪な環境による病死と思って間違いありません。そして、それは現在でも世界の多くの国では現実のことでありますし、日本でもほんの数十年前までは当たり前のことだったのです。こうした環境では、毎年同世代の人間がばたばたと死んでいき、老人と呼ばれる年齢まで生き残るのはほんのわずかです。

しかし、日本をはじめとする先進国ではこうした問題をかなり克服しました。衛生環境が向上し、医療水準が高くなり、栄養状態も改善した結果、多くの人が長生きしました。若くして病死する人は少なくなり、多くの人が老人と呼ばれる世代まで長生きできるようになりました。長生きが必ずしも幸福とは限りませんが、不幸とも限らないでしょう。少なくとも、意に反して若死にするよりは幸福ではないかと思います。先進国の国民はこうした幸福を手に入れることができました。人口構成では、世代をあがるごとに人口が減っていくピラミッド型ではなく、どの世代も同じような人口になる釣り鐘型になります。

長寿を享受できるこうした社会は個人にとっては幸福ですが、政治や経済にとってはそうとは限りません。釣り鐘型の人口構成では生産者人口に対して社会が扶養すべき老人人口の割合が多くなります。すなわち社会負担が大きくなりますので、政治的にも経済的にも難しい舵取りを迫られることになります。

釣り鐘型が更に進行した状態が逆ピラミッド型です。少子化によって世代が下がるごとに人口が少なくなり、人口構成グラフが逆ピラミッドの形になります。こうなると釣り鐘型以上に社会負担が大きくなり、政治的経済的には破綻が近くなります。少子高齢化社会とはこのような状態で、日本も今はこの状態にありますし、今後更に逆ピラミッドが進行することが予想されます。

問題は少ない生産者人口で多くの老人人口を扶養しなければならないことにあります。この解決のために老人が死ねばいいのにと発言した閣僚とか居ましたが、それは実際には人道に反する話で実践できるものではありません。では生産者人口を増やしましょうというのが目下の課題です。かといって、人はいきなり20歳で産まれてはきません。いきなり20歳の人間をもってこようというのが移民政策ですが、様々な理由から日本では導入は難しいでしょう。残る手段は産まれる子供の数を増やして将来の生産者人口を増やしましょうというわけで、これが少子化対策と呼ばれるものになります。

しかし、ここまで読んでいただければ分かりますように、老人人口を維持したままで、その老人を扶養するだけの生産者人口を擁するには全体の人口を数倍にしなければなりません。そして、その生産者が老人になる頃には更に数倍の人口が必要という倍々ゲームがエンドレスで待っています。少子化対策によって高齢化社会を乗り切ろうと言っている人は、つまりはこのようなことを主張しているわけです。どう考えても無理ですよね。なので、高齢化社会を乗り切る対策は少子化対策ではないのです。

ただ、私は少子化対策が全くの無駄だとは思っていません。別の観点からの少子化対策は行った方がいいと思っています。それは、子供を産み育てたいと思っている現在の親世代において、現代社会はあまりにも出産・育児に厳しい環境だからです。そして、その環境を目の前にして出産そのものをあきらめてしまうという人が多数いるわけです。全く子供を諦めてしまう人だけではなく、一人や二人で諦めてしまう人も多くいます。こうした人たちが、自分たちがほしいと思うだけの子供を産み育てることができる環境を作ることは意味があると思います。そうした意味では少子化対策は行うべきだと思います。