想像力の欠如にどう立ち向かうか

2022/5/11作成

現場の配送員が明かす「再配達の有料化」がそのうち避けられなくなる理由

「ソファに寝転がりながら投稿した」「どうせ誰も見ないと思って」加害者が語った“軽さ” 池袋母子死亡事故の遺族へ向けられた“デジタル暴力”

前者は宅配便の時間指定配達を指定しながら不在を何度も繰り返した事件、後者は池袋事故の被害者に誹謗中傷を行った事件です。これ、どちらも想像力の欠如によって起こったんじゃないかと思うんですよね。

彼らが実際にやったことは何かというと、ソファに寝っ転がりながらスマホをポチポチしただけです。彼らは罪に問われて驚くでしょう。俺はスマホをポチポチしただけなのに、なんで罪に問われるんだ。スマホポチポチ罪という犯罪があるのかと。実際にはスマホをポチポチした背後に実在の人と社会が存在するのですが、それを彼らは想像することが出来なかった。それが原因の本質じゃないかなぁと。

ファミコンでゲームをしているときのことを考えてみましょう。なんで例えがファミコンかというと、容易にリセット出来たのってこの頃のゲーム機までだからです。ともかく、ファミコンでゲームしてて、ミスったらリセットしてやり直しってのはやったことがある人は多いと思います。一人でプレイしてる分には何の問題も無い行為です。でも友達と二人でプレイしてるときに勝手にリセットされたら友達は怒りますよね。当たり前のことです。

ネット時代になってオンラインゲームが普及しだした頃、このファミコン感覚でリセットするユーザーが問題になりました。自分が都合が悪くなったからと言って勝手に回線切ったりしてしまったんですね。本人としては家で一人でゲームをしているつもりだけど、実際にはネットを通じて他人と一緒にゲームをしていたことに気づいていなかった。オンラインゲームでは啓蒙と共に、回線切っちゃうユーザーは最終的にはアカウントBANされて排除されていきました。

つまり、再配達と不在を何度も繰り返す人も、ネットで気軽に誹謗中傷を投稿する人も、ファミコンでリセットボタンを押してる感覚と大差なかったと思うんですよ。その先に実在の人が存在することまで想像できなかった。こう書いちゃうと、彼らを許せと言ってるのかと早合点して怒っちゃう人がいるかもしれませんが、そうではないんです。彼らが許されないことをしたのは事実ですが、やっちゃダメですよって言ってるだけでは同じことを誰かが繰り返しちゃうんですよ。どうやって再発を防ぐかというのをシステムとして考えないとダメだって思うんですね。

なぜ繰り返されてしまうかというと、そもそもネットの向こうに人が実在すると認識できる想像力って思った以上に特異な能力だということです。人類は目の前に居る人の顔色を伺う能力は獲得していますが、ネット越しの人のことを想像する能力を種として獲得してはいません。だって、これまでの人類進化の歴史でつい最近登場したシチュエーションですからね。今後長い年月をかけて種としてネット越しの人を認識する能力を獲得していくかもしれませんが、それでは現代には間に合いません。多分ですが、ここでいうネット越しの人の存在を認識できる能力を持ってる人って現在の全人類の1割も居ないんじゃないかと思います。偉そうに文章書いてる私だって多分持ち合わせてないです。それくらい稀少で特異な能力なんだけど、その能力がある前提で現代のネット社会が構築されてしまっている。であればネット社会の仕組みの方を直さないとダメなんじゃないかと思うわけです。

一応補足しておくと、目の前の人の顔色を伺う能力も100%の人が持っているわけではありません。こちらは多分9割くらいじゃないかな。残り1割の人は目の前の人のことも他人として想像が出来ません。実際にはそんなゼロイチにパキっと区別できる能力では無くて、グラデーションを描くんですけどね。でもまあ、ネット越しの人のことを想像する能力よりは多くの人が獲得しているとは思います。

じゃあ教育と啓蒙を行えばいいだろうというと、しないよりはした方がいいんですが、それだけでは不十分だと思うんですね。そもそも現代社会というシステムが不十分なのだとしたら、社会のシステムの方を変えていく必要があるだろうと。学生の頃に印刷工場でバイトしたことがあります。そこにあった大型の裁断機はスイッチが離れた位置に二つ付いていて、両方同時に押さないと裁断できないようになっていました。つまり、両手で操作しないとダメってことですね。ボタン一つにして片手で操作できるようにしてた方が便利そうですが、そうすると空いた片手を紙の束に添えたままにして、自分の手も一緒に裁断してしまう事故があったんでしょうね。そういう事故があったときに、朝礼で気を付けろと訓示したり、張り紙で注意喚起したりしてもいいんですが、それだけでは事故はきっとまた起きますよね。ボタンを二つにして、事故が起こりようがない仕組みにしてしまうのがより良い解決方法だと思います。まあ、ダメな工場だと片方のボタンをガムテープで固定して片手で操作できるようにしてあったりするんですけどね。ガムテープ固定が頻発するようなら、固定できないように機械の方を改良していくことになりますかね。そうして無限の改良の繰り返して事故の無い工場が維持できるわけで、ネット社会もきっと一緒だろうなと思うわけです。

問題点の指摘だけで解決策の提示はないのかと怒られそうなので、一応書いておきます。一つ思いつくのは、評価システムを利用することです。今って、再配達依頼も、SNSでの誹謗中傷投稿も、誰でも自由に行うことが出来ます。ある意味、評価の初期値が満点ってことですね。実際には再配達不在を繰り返す人は宅配会社から再配達依頼を拒否されるようになるでしょうし、誹謗中傷を繰り返すアカウントはSNSでアカウントBANを食らいます。つまり評価がゼロに落ちるわけですね。つまり、今は最初は評価が満点で、行動によって評価がマイナスされていくシステムになっている。これを逆にして、最初は評価をゼロかごくわずかにして、行動によってだんだん評価を獲得していくようにしていってはどうだろうかと。つまり、最初は再配達依頼も時間指定もできませんし、SNSでの投稿も広く拡散することは出来なくしておきます。信頼できる行動を蓄積することで、だんだん実績解除されて行動範囲が広がっていくということですね。何も突飛なアイデアでは無くて、ゲームなどではむしろ当たり前のことですし、ネットオークションなどでは既に採用されていますね。別の言い方をすると「半年ROMってろ」をシステムとして実現してしまいましょうということです。ネット社会以前でもクレジットヒストリーなどでも行われていたことですね。クレカは最初は与信枠小さくて、実績を積むことで大きな買い物が出来るようになりますし、上位カードへの勧誘も行われます。

一見良いシステムのようにも見えますが、問題点もあります。サービスが個々に独立して評価を行っているうちはいいんですが、いずれサービス間で評価の共有が行われるようになります。そうすると、どこかでやらかした人はネット社会で再起できなくなってしまいますね。問題ある人間を排除するんだからいいじゃないかってことですが、その評価が間違って行われたものだとしたらどうでしょう。SFでコンピュータによる管理社会から漏れてしまった主人公が大活躍するってネタがありますが、まさにそれがリアルに行われるようになるわけですね。これ未来の話では無くて、GAFAと呼ばれる巨大ネット企業では現在でも起こり得る話なんですよね。GAFAでも特にGoogleとAppleは多くのサービスを実施していますから、このどちらかで評価を失ってしまうと、事実上ネット社会から締め出されてしまいます。今はまだ本人確認が不十分ですから新規アカウントを作って育て直すことも出来ますが、本人確認が厳密化されるようになると、事実上人生終わった状態になりかねません。

また、こうした評価情報をネット企業が蓄積するということは、当然にそれが流出するリスクもあります。個人情報の塊ですから、流出することによりリスクも巨大です。国家機関による検閲のリスクもありますね。国家権力にとって都合の悪い人物をあぶりだすのに使われるというのは、独裁国家では容易に行われるでしょう。中国では既に国家規模でネット評価システムがあるそうで、評価を失った人は列車の切符すら買えないそうです。ある意味当然だと思うし、ある意味怖いなと思います。そして背後に国家による監視があるとすると、なかなか恐怖ですね。