ケーキの切れない非行少年の話

2022/4/17作成

「ケーキの切れない非行少年たち」を読みました。犯罪を犯した少年のなかには結構な割合で軽度知的障害が見落とされている人がいると。本書では直接触れていませんが、大人の刑務所でも同様のことがあると。わりと衝撃的な話ではないかと思います。

刑務所もそうですが、特に少年院では刑罰よりも矯正が主目的になります。つまり、犯した犯罪を反省し、二度と犯罪を犯さないように教育するわけですね。そのための教育プログラムが用意されてるわけですが、それはあくまでも教育プログラムが理解できる知力があることが前提です。認知行動療法が認知機能が不十分な人には効果がないというのは、指摘されればごもっともと思えますが、言われるまでは全く気づきませんでした。

ただ、犯罪の場合大抵は被害者がいるわけで、被害者の立場からは納得できる話ではないってのはあるんですよね。彼が犯罪を犯したのは障害のせいであって彼が悪いのではありません。彼は処罰されることはなく教育を受けますって言われても、やられた方は納得できないですよね。だからって刑罰だけを行っても、出所したら再犯するのは間違いないので、教育も必要ではあるんだけど、それなりの刑罰もないと感情としては納得いかないかなと思います。

あと、よくある厳罰化による犯罪抑止ってのが、こういう人たち相手には意味ないってのもわかりますね。犯罪を犯せば警察に捕まって処罰を受けるという因果関係が理解できない人に対して、いくら厳罰を用意しても意味はない。殴ったら相手が痛がるということすら想像できないなら、道ばたの石ころをけっ飛ばすくらいの感覚で人をナイフで刺してしまうのでしょう。

というのとは別に本書を読んで思ったのは、彼らが社会で生きにくくなっているのは、現代社会が高度化しているからかなと思ったので、それについて少し書きます。

義務教育は中学までですが、ほぼ全員が高校まで進学します。高校卒業ではもはや高学歴とは言われませんし、なんなら大卒だって高学歴ではありません。業界にもよりますが、大学院卒でないと学歴とよばれなかったりもします。小学生から始まって20年近くの教育を受けてようやく社会に出ることが出来る。社会に出てからも数年は経験を積まないと一人前とは言えない。つまり生まれてから30年くらいの研鑽を積まないと社会の構成員とは言えないというのが現代社会なのですね。そういう研鑽を積んだ人だけで構成されているのが前提に現代社会はデザインされている。

現代社会では、その30年の研鑽を積めない人は事実上排除されてしまっている。インクルーシブになってない。ユニバーサルデザインという言葉が言われるようになりましたが、代表的なのは階段の横にスロープをつけて車いすの人でも利用できるようにしましょうだったりします。それはもちろん大切なことなんですが、知的障害者や発達障害者が生きやすい社会になる努力は今のところほとんど行われていないのかな。

知的障害や発達障害って、別に現代で急速に増えたわけではないでしょうから、昔から一定数いたと思うんですよ。ではそれらの人は昔は生き辛かったのかというと、それなりに社会に居場所があったんじゃないかとも思うんです。一方で一生座敷牢だったりもしたので、一概に昔はよかったとも言えないのですが。昔はそれなりに居場所を用意することができたけど、現代社会は高度化しすぎて居場所が用意できなくなってしまったのかなという気がします。

もう一つは本書でも指摘されているとおり、現代社会では一次産業二次産業が衰退し、三次産業が主力になってしまっていること。こう書くと職業差別という気もするし、自分でもそうではないとは完全に否定できないので書くのは微妙なんですが、軽度知的障害者でも一次産業や二次産業では従事できたりしないかなと。三次産業ではコミュニケーション能力が重要になるので、こうした能力に劣る人は障害者としてレッテルを貼られてしまう。ただ、これも一種のハンター・ファーマー仮説かなという気もします。現代社会で求められるコミュニケーション能力に劣る人を障害者としているだけで、社会が変われば別の能力者が障害者になっているだけかもしれない。そうだったとしても、現代社会で求められる能力を持っていないという事実は変わらないんですけどね。

これどうしたらいいんでしょうかね。そんな奴は現代社会に不要だから殺すか隔離してしまえってのはあり得ないのでやらないとして。筆者の提言するように早期に発見して適切な療育を受けさせることは有用でしょうね。それにより完全に克服できないかもしれないけど、現代社会でそれなりにやっていけるレベルには達するかもしれない。多様な人が暮らしていけるインクルーシブな社会が理想とは言っても、程度問題というのもありますしねぇ。正直、ここまで常識が通用しない人たちと一緒に暮らしていけるかというと個人的には自信がない。

技術の発達は人々を単純労働から解放してきました。それ自体は素晴らしい事かもしれないけど、単純労働に従事してた人は職を奪われたとも言える。産業革命、IT革命によってこの流れは更に加速してます。この先シンギュラリティが実現したら、人間に仕事は残るんでしょうか。それでも創造的な仕事は人間でないと出来ないと言われたりもしますが、それって言いかえればクリエイティビティの無い人には仕事の無い社会ってことでもありますよね。今は数パーセントの人が社会に付いていけずに弾かれていますが、もっと社会が進むと大半の人間が不適合者となってしまうのかもしれない。そうした時に、不適合者の居場所がある社会ならいいですが、切り捨てられてしまったらどうしたらいいんでしょうね。これ、遠い未来の話ではなく5年10年くらい先に到来する可能性だって十分にあるわけでして。