SNSに商業コンテンツを求める人たち

2022/4/17作成

いやいや、それは貴方が上目線で見ているからでは?
貴方もゲーム作り始めた頃は友達や家族に『これ動いた』とか言ってませんでしたか?
それが今は報告がSNSになっているだけ。温かい目で見守るならともかく、そんな嫌味言うなら見なきゃいい。
少なくとも僕は自分の若い頃を思い出して嬉しいですよ。 https://t.co/qc8vUIfvS8

— YMCAT(迎霧狼慢)🪤🐀 (@info_ymcat) April 16, 2022

このやりとりをみて思ったのは、ああSNSに商業コンテンツのような有用性を求める人がいるんだなぁということです。

テレビやラジオのような商業コンテンツ。書籍や映画などの有料の商業コンテンツに対して、自分が楽しめなかった金返せと文句を言うのはまあわかります。好き嫌いや向いてる向いてないならコンテンツってそういうものだけれど、商業コンテンツのレベルに達してない素人芸であったら、こんなもんにお金や時間を費やしたのは無駄だったと文句を言うのは、まあ気持ちとしてわかります。実際にはコンテンツも玉石混淆ですから、そういうのも含めて楽しむものだとは思いますが。

ところがこのやりとりで見てわかるとおり、SNSでの発言にも商業コンテンツと同等のクオリティを求める人ってのが実在するわけですね。稚拙なツイートは不要だ、読んで楽しめる有用なものだけをツイートしろと。商業コンテンツもSNSも、一方的に受け手の立場だと区別がつかなくなってしまうのでしょうか、そう思うのもわからんでもないですが、実在するんだなぁというのがこのやりとりをみて思ったことでした。

言うまでもないことですが、SNSって素人同士の交流手段なわけですよ。その交流を他人にも見えるようになっている。言ってしまえば井戸端会議を他人が聞けるようになってるものであって、そこで井戸端会議のクオリティが低いからもっと俺が楽しめることを話せってのは無理筋な主張だと思うんですね。でもそういう無理筋な主張をする人が実際に居ると。

でも、こういうのって昔からあることでもあるんですよね。かつてなら匿名掲示板などでもそうですが、最初に場が立ち上がったときは自らものが作れる人たちが面白いものを作って楽しんでる。そうするとあの場所は楽しそうだと人々が集まってくる。これくらいの時期が一番場が盛り上がって楽しい時期なんですが、だんだん受け身の人が増えて、文句の声が大きくなってくる。そうすると最初に場を立ち上げてた人たちは居心地が悪くなって去っていく。そうすると誰も楽しいものを提供できなくなるので場も廃れていく。まあ、いつものサイクルであって、SNSもそのサイクルの後期に入ってきたのかなぁという気がします。

これ、個人的なN=1のケースでも当てはまってるんですよね。私はSNSとしてTwitterとFacebookをやってますが、Facebookでは日常的なちょっとしたことを書く友達はほとんど居なくなってしまいました。私のFacebookのウォールに流れてくるのは広告か自治体のお知らせくらいです。もはや私にとってFacebookはSNSではなくお知らせを見るための情報収集ツールになってます。Twitterは今のところまだ比較的日常的なことが流れてくるタイムラインになっていますが、それでも以前に比べると発言する人は減ってます。あくまでも私のN=1のケースの話なんで、今でもFacebookやTwitterで交流を盛んに行ってる人もたくさんいるんでしょうけれどね。