孤独について

2022/3/21作成

孤独・孤立担当大臣が任命されるなど、近年孤独が社会問題として取り上げられることが多くなりました。一方、そうしたニュースに「俺は一人の方が気楽だから孤独でも平気だ」というようなコメントがつくことがあります。これについてちょっと思うところを書き出してみます。

人間は社会性の動物ですので、完全な孤独には耐えられないと思います。完全な孤独というのは、例えばロビンソン・クルーソーのように無人島に一人っきりで漂着するというようなケースですね。ロビンソン・クルーソーはフィクションですが、現実にあったケースでは横井庄一さんや小野田寛郎さんのようなケースでしょうか。横井さん小野田さんは無事に生き延びましたが、同様のケースで孤独に耐えきれずに亡くなった方も居たのではないかと思います。多分ですが、独居老人などはこれに近い生活を送っているんじゃないですかね。買い物などで人と接することはありますが、深く関わるわけではありません。何日も人と会話したことがないという方も多いそうです。これが孤独だと思います。

一方、ネットで自分は一人の方が気楽だと言ってる人って、家族や友人に囲まれていて、自分が望めばいつでもそれらの人とコミュニケーション可能な状態なんじゃないかと思うんですよね。その上で、今は一人にしておいて欲しいと思えるタイミングで一人になれる。これは孤独ではないですよね。単なる一人行動が好きなだけの人ですよね。まあ世の中にはトイレに行くのですら他人と一緒でないと耐えられないという人もいるそうですから、それに比べれば孤独なのかもしれませんが。

さくっと結論を書くと、病として問題になっている孤独は、強制されての孤独なんだと思います。自分で選び取っている孤独、しかも自分の意志でいつでも他人と交流する自由がある孤独は、病としての孤独ではないでしょう。そして問題になっているのは強制されての孤独なんだと思います。まあ、自己責任論の好きなネット民なら、独居老人もやろうと思えば地域のコミュニティにでもなんでも入れるんだから自ら選んだ孤独だと言うのでしょうが、そんな簡単に交流する機会なんて作れるもんじゃないんですよね。だから社会の側が交流する機会を作ろうというのが孤独対策なんだろうと思います。