ソーシャルビジネスと営利企業

2022/1/4作成

伝統的左翼思想では資本家や営利企業は打倒すべき敵ですよね。資本家と労働者に二元化し、資本家を滅ぼすことで労働者の理想社会が到来するという世界観です。まあ、私の荒い理解ですし、極端な解釈かもしれませんが。

それに対して2000年くらいからソーシャルビジネスという概念が生まれてきました。新しい左翼思想といいますか。従来の社会問題解決は行政による福祉や寄付やボランティアによっていましたが、それでは持続させることが難しい。ビジネス手法を用いて経済的に継続させながら社会問題を解決しようというわけです。伝統的左翼から比べると、随分と資本主義に寄り添っていますよね。ただ、ソーシャルビジネスを実際にやっている人の発言などを追いかけていると、ソーシャルビジネスと営利企業の間に壁を作っているなという感じを受けることがあります。俺らは営利企業とは違うよ、と。まあそれがプライドであるのなら当人の好き好きなんですが、個人的にはそこに壁を作る意味ってあるのかなと最近思うようになったのでこの記事を書きます。

考えるきっかけは個人開発とシビックテックです。個人開発は、最近のITエンジニアの流行で、個人でウェブサービスやスマホアプリを開発してスキルアップしたり小遣い稼ぎをしたりするものです。シビックテックは行政課題をテクノロジーの力で解決するというものです。それぞれ個人的に興味をもっていて調べたり自分でもできないか考えていたんですが、この二つの間に明確な違いってあるんだろうかというのが疑問になってきたんですよ。

個人開発でサービスやアプリを作る場合、その動機として現状になんらかの問題があるわけですよ。純粋に趣味として自分が作りたいから作るでももちろんいいのですが、せっかく作ったのなら広く使ってもらいたいとも思うわけです。そうすると需要が必要で、需要のためには現状の問題を解決するものでなければならない。

一方、シビックテックの場合、狭義には行政が必ず関わっていないといけないでしょう。ですが、広義には行政課題について個人や団体が勝手に取り組んでもいいと思うんです。そうすると、個人開発とシビックテックには一体どこに垣根があるのだろうと思えてきたんですね。自分が考えている企画が、これは個人開発なのか、シビックテックなのか、どっちなのか。その両方を兼ね備えていると考えることも出来るんじゃないだろうかと。

話を戻して営利企業です。大学の経営学で、企業の存在意義は社会貢献であると学びました。果たしてそうなんだろうかとしばらく考え込んでいたのですが、よくよく考えるとそうなのかなという気もします。世の中で必要となるものを生み出してその対価を得るという企業の活動は、それはすなわち世の中のためになっているわけですよね。そりゃ中には営利が第一で、社会的に害悪といっても差し支えないような営利企業も存在することは確かです。でもそれを言えば補助金に寄生するためだけのなんちゃってNPOとかもたくさんありますよね。

ということで、個人的には営利と非営利を区別して壁を作る必要はないんじゃないかなと思います。その行為が社会の役に立っているのかどうか、それだけを問えばいいのではないかと思います。