自己責任論の行きつく先

2022/1/4作成

自己責任論ってあるじゃないですか。貧困でも、事件や事故に巻き込まれた時でも、ネットでは必ず自己責任論が巻き起こります。なんなら災害にあった人に対してまで、そんなところに住んでるのが悪いとまで言い出す始末です。

理屈と膏薬はどこにでも付きますから、自己責任論が全くの荒唐無稽な主張というわけではありません。一応、理屈が通っていたりもする。だからって首肯するわけでもないんですが。全面否定するわけでもないんですが。というか、ここで考えたいのって自己責任論自体ではなくて、なんでそういう思考になってしまうのかなって話なんです。

これは私の想像でしかないんですが、自己責任論って二つの要因があるのかなと思ってます。一つは、原因をはっきりさせたいこと。複雑な要因が絡み合っていたり、原因がはっきりしないというのはもやもやしてしまう。原因を特定してはっきりさせることですっきりしたい。もう一つは、自分の責任ではないことを明確にしたい。自分はセーフティの立場で居たい。自分は正義の側になって叩く側に回りたい。そんな感じかなと。当人に責任があると明確に出来れば原因がすっきりしますし、自分は悪くないので遠慮なく叩く側に回ることが出来ます。

こう考えると、自己責任論って要するに他責思考のバリエーションかなとも思います。どっちにしろ、自分は安全位置に立てる考え方。例えばコロナ禍では多くのものが叩かれました。中国の武漢に始まって、クルーズ船だのK1だのコンサートだのパチンコ屋だの駄菓子屋だの。政治家も叩かれましたし、医療者や感染症研究者も叩かれました。医師会もですね。みなさん、とにかく次々と叩く対象を探して叩きます。でも決して自分に振り返る要因があるとは認めません。だって自分が悪いかもしれないと考えるのってしんどいですものね。また、コロナについてはとにかく一つの原因を探し出すことにみなさん夢中です。これが原因でコロナが広まっている。この対策をすればコロナはパッと消える。そんな言説がひたすらはびこっています。

こうした自己責任論や他責思考の行きつく先の一つって陰謀論じゃないかと思うんですよ。こうして考えると、なんで陰謀論にはまるのかもなんとなくわかりますね。だって、楽ですもん。陰謀論は明快な答えを与えてくれます。世の中の大抵の問題は複雑に要因が絡み合っていて解決も難しいです。でもそんな難しいことを考えることも無く、たった一つの陰謀によって引き起こされているんだと解き明かしてくれます。しかも、それは決して自分は悪くないという保証付きで。これは楽ですよね。すっきりします。そりゃ陰謀論にはまりたくもなるというものでしょう。

でも、言うまでもないですが陰謀論にはまるってことは、自分で思考することを放棄してるわけですよね。他者の思考にのっかって楽をしている。まあ、こうやって偉そうに書いている私だって、全ての問題に対して思考を尽くしてるかっていうと、全くそんなことはないわけですけどね。大抵の問題については思考するのも大変なんで放置してます。だから自己責任論者や陰謀論者を一方的に責めたいとも思わない。全ての人が自分で思考を尽くす辛さに向き合えるとも思えないですし。でもまあ、自分については出来る範囲でいいので自分で思考を続けていければなぁとは思います。

(2022/4/6追記)

陰謀論に絡んで思ったことを追記します。この記事そのものに絡むものでもないんですが、まあ追記にしておこうかなと。

なにかというと「利益を得てる奴が黒幕だ論」です。例えばコロナについては、医療や製薬業界に多額のお金が流れていますから、これらの業界によるでっちあげたという論者がネットには一定数いらっしゃいます。

利益を得てる人が誰だってのは思考法としては有用だと思うんですよ。たしかエルキュール・ポアロがこういう思考法で推理していたような気がしますが、読んだのが随分昔なので記憶違いかもしれません。ただ、この思考法はあくまでも思考法の一つであって、万能ではないんですよね。例えば風が吹いて桶屋が儲かったからといって、桶屋が風を吹かせたわけではありません。儲かった奴黒幕説に取りつかれた人は、その点が分かってないんじゃないかなぁという気がするので、ちょっと書き出してみました。