親ガチャという言葉への違和感

2021/12/6作成

すいません。タイトルは少し釣り要素入ってます。こう書いたら「なに?親ガチャ否定論者か。そんなわけないだろうが」って思ってクリックされるかなと。さもしくてすいません。そもそも誰もクリックしないとは思いますが。

という言い訳が入るということは、私自身は親ガチャ肯定派です。産まれた親によって人生の難易度が大きく変わると思っています。もちろん本人の努力で克服できることもあるでしょうが、スタートラインの違いで到達できる領域に大きな違いがあるんですよね。

そのうえで何に違和感を感じてるかというと、その産まれた親の選択をガチャという言葉で表していることです。出てくるアイテムが運しだいという意味では親もガチャなんですが、ガチャにはもう一つ意味があってそれは選び直しが可能ということなんです。追加でお金を払えば再選択できる。それがガチャ。でも親は選び直せない。そこが大きな違いですね。

例えば私は転職はガチャだと思ってます。結婚もガチャだろうと思います。どちらもある程度自分でも選択可能ではあるんですが、その後に判明する要素も多くあります。でも転職も結婚も、辞めてもう一度選び直すということは不可能ではありません。そりゃ容易ではないですよ。現時点で辞めたくても辞められなくて苦しんでる人とか、辛い結婚生活だけど離婚できなくて苦しんでる人を責めるつもりはないんですが、そうした人にも「選び直すことは不可能ではない」というのは希望を与えるのではないかと思うんですよ。つまりガチャとは観念せずに再チャレンジ出来ることを示す希望の言葉であるというのが私の解釈でした。

しかしこの希望の言葉に対して、親という選択し直すことができないものにも当てはめられてしまった。これが私の感じる違和感です。