無事これ名馬の話

2021/8/30作成

この文章を書くに当たって改めて調べてみたら「無事これ名馬」って私が思ってたのとちょっと意味が違った。とにかく怪我せずに走りきってくれたらいいよっていう馬主から馬への愛情の言葉なんですね。そうだったのか。

でまあ、こっから先は私の独自解釈に基づく仕事における勤怠の話です。要するにですね、スキルが少々凡庸だったり劣ってたりしても、勤怠がしっかりしてる人ってそれだけで有能だよねって話です。

フィクションでは、遅刻欠勤ばっかりしてるダメ社員が特殊能力を発揮して会社の危機を救うなんて話があります。そして平時にはまたダメ社員に戻っていくと。でもこれってやっぱりフィクションの中でしか成り立たない話なんですよね。現実には成り立たないからこそ、フィクションとして成り立つとも言えるんですが。

チームで仕事をしていると、仕事が他の人の仕事に依存することがあります。他の人が第一段階を仕上げて、それを元に自分が第二段階を進めるとかですね。この場合、他の人が仕事の期限を遅らせると、その分自分のスケジュールが押してしまうんですよね。だからチームで作業する際にはまずそれぞれがスケジュールを守ってくれることが大切になる。

スケジュールさえ守ってくれれば勤怠がボロボロでもいいとは言えるんですが、実際のところとして勤怠がボロボロの人でスケジュールだけ守るって人はまずいない。朝になって体調不良で今日は休みますって連絡が週に2日も3日も入るようですと、そもそも作業時間がとれてませんからスケジュールの守りようがありません。だいたい当日になって欠勤連絡ですから、その日に予定してたミーティングとかも開催できなくなってしまうし、休んでたらどこまで進んでるのか状況を確認することすら出来ません。

当然ながら勤怠がしっかりしていてもスケジュールが守れなかったら意味がないんですが、少なくとも勤怠がしっかりしていれば出勤はしていますから、今どういう状況か確認することが出来る。そういう意味ではまだマシかなと思うわけです。

というところまでで話は一応完結するんですが、これだけで済んでいたのは昭和のこと。平成から令和に至ってはそうもいきません。ワークライフバランスって奴ですね。

勤怠がしっかりしない、当日突然休むってのは、特に働くお母さんには切実な問題です。乳幼児が突然病気になって保育園行けなくて休まなければならないってのはとてもあるあるの話です。そこでお父さんはどうしたんだって話もあるけれど、話が発散するのでまた別で書くとして。

本人のやる気や能力には問題ないけど家庭などの事情で勤怠がどうしてもしっかりしなくなってしまう。それだとチームで一緒に働く人の仕事にも影響が出てしまうから、そういう人には責任ある仕事は振れないなぁってことになると、今度は働く女性差別だって問題になってしまう。うーん、どうしたらいいんだろう。チームだから他の人がカバーといっても、この場合お互い様にはならないんですよね。大抵働くお母さんが一方的にカバーされる側になって、独身や子無し社員が一方的にカバーする側になってしまって不満を募らせる。でもそれを公言することは今の社会情勢では許されなくてストレスをためる。10年20年と長いスパンでみればカバーする側とされる側が入れ替わることもありますが、みんながみんなそんな長い間同じチームや会社で働き続けるわけでもない。結果、一方的にカバーされてメリットだけを享受する人と、カバーするだけでデメリットしか無い人に分かれてしまう。これどうしたらいいんでしょうね。

一人や二人突然休んでも問題ないような体制を作っておくのがマネージャーの仕事だってのも正論ではあるんですが、常に余剰人員を抱えていたらコストが過剰にかかってしまい、そのコストは商品価格に転嫁せざるを得なくなりますから、価格競争力がさがってしまいます。大抵のビジネスはぎりぎりのコストに押さえることでようやく成り立っていますから、そんな余剰人員を抱えるってのも難しいんですよね。

あれ、なんかうまく書けないですねえ。個人的には子供が熱を出した場合は当然として、今日はなんとなく気分が乗らないなぁくらいの軽い調子でも休めるくらいの緩い社会が理想だとは思ってるんです。でも、ここまでの論調だと社畜バンザイって感じになってしまってますね。どうしたものか。どうまとめたものか。

結局、立場の違いによって論点も変わってくるんですかね。休む側の論理と、休まれる側の論理と。そこに相いれないものがどうしても出てくる。どっちの立場から議論するかによって結論も変わってくると。

もう一つあるのは、これ資本主義の構造的問題なんですよね。コストを最小化することによって利益が最大化出来る。つまりギリギリの人員で回すことが資本主義における正義になってしまう。だからこそ、医療や保育や介護などでは人員配置の最低人数が法令で決まっている。規制がないと事業者は際限なく人員削減しますからね。そして、最低人数を確保するにしても、それ以上に余剰に人員を配置する企業なんて滅多にない。これすなわち資本主義の構造問題。利益最大化もありますが、競合との価格競争に負けないためってのもあるんですよね。お互いにギリギリまで値下げ競争するためにはコストをギリギリまでさげるしかない。結果、人員はどうしたって最小限にならざるを得ない。資本主義が悪いからといって、共産革命を起こせば万事解決ってわけでもないんですけどね。さて、これほんとどうしたらいいんだろうと思う一方で、冒頭の無事これ名馬から随分話がそれてしまったなぁとも思ったり。まあ考え無しに文章書き始めて結論がまとまらないってのはいつものことなんですが。