日本人の定義

2021/6/4作成

わー、これまたやばいテーマです。下手すりゃ差別意識ばりばりになりかねません。っていうか、下手しなくてもそうなりますよね。出来るだけフラットになるように気を付けながら書いてみたいと思います。

何を書きたいかっていうと、要するに日本人ってなんだろうと。これは別に日本人に限ったことでは無いんですが、私が自認として日本人なので日本人で考えてみようってだけなんですが。別の言い方をすると、どういう属性の人なら同じ日本人として認められるだろうかってことです。私が日本人として認めるってのも上から目線でおかしな話なんで、もうちょっとソフトに言い換えるとどういう属性なら日本人の仲間と自分が思うだろうかって感じですかね。念のためにですが、日本人でない人を差別したいわけではありません。仲間と思える人がどこのラインかという話です。家族、同級生、同僚などは仲間として認識しますが、そのライン引きと同様です。家族でない人を差別してるとは言いませんよね。また、この仲間意識はあくまでも私にとってですから、世間一般がこうあるべきという話でもありません。

まず第一に考えられるのが国籍が日本であること。これは法律的な日本人の定義ですから、ある意味もっとも適切な属性とも言える。でも国籍が日本と言っても実際にはいろんな人がいます。

大相撲で活躍した力士は現役引退後親方になるために日本国籍を取得することがあります。日本に長年住んでますし、日本語も達者、大相撲を通して日本文化にも深い理解がありますから、様々な点で日本と親和性が高いですが、では彼らは親方になるのに日本国籍が不要であれば、果たして日本国籍を取得しただろうかって疑問はあるんですよね。そもそも相撲協会の親方には日本国籍が必要というのも果たしてどうなのかって話もありますが、それは流石に話が発散しすぎてしまいます。

大相撲の親方と似た話ですが、国別で競うスポーツで日本代表に入るために日本国籍を取得する外国人選手もいます。それぞれの選手個々の事情で言えば日本との親しみであったり思い入れがあったりと様々でしょうが、事象を大枠でみると外国人助っ人感が無いとはいえない。実際、有力選手は国際大会に出場することを目的に弱小国の国籍をとって代表選手入りを目指すってのもあります。マラソンの猫ひろしさんがカンボジア国籍を取ったのも、まあそういう話ですよね。こうなってくると国別でスポーツを競うってのはどうなのよって話になるんですが、それも話が発散するのでおいときます。

国籍が日本というのなら、こういうケースもあります。日本国籍をもった方が海外移住して現地の方と結婚。生まれた子供は二重国籍になるけれども、成人した段階で日本国籍を選択した。人によって育ち方は様々ですが、日本語も話せないし、日本文化に触れたこともないし、人種としても日本人とのハーフだとしても国籍は日本と。日本国籍を選択するということは、当人としては日本という国に対して思い入れがあるんでしょうけれどね。

次に考えられるのが、人種として日本人であること。人種ってのも生物学的な違いが本当にあるのかどうかって問題もありますが、一応あると仮定して。要するに血統として日本人であるということですよね。

この条件ですと、先ほどの帰化スポーツ選手は日本人には入らなくなります。逆に、海外に移民した2世3世の方でもハーフやクォーターでなければ日本人ということになりますね。日系人コミュニティが形成されてるところでは日本語や日本文化がある程度継承されていますから、人種だけが日本人ってわけでもないですしね。

民族としての日本人というのもあります。民族となると人種以上に定義が難しいですし、日本人の中にもヤマト民族以外にアイヌであったり琉球民族であったりという問題があって非常に複雑なんですが、一旦仮に日本民族というものがあると仮定して。日本民族に生まれ育ち、日本語を母語とし、日本文化を習得しているものを日本人であるとみなす考え方。こうなってくると、お茶もお花もやったことがない私なんぞは日本民族から除外されてしまいかねないって気もしないでもない。日本人であるのって難しいな。

人種や民族を日本人の条件にすると、日本国籍を離脱してもその人は日本人ってことになりますね。実際、日本に縁のある方がノーベル賞を取ったりスポーツで活躍したりすると「日本の誇り」として取り上げられることがあります。当人の努力や才能を賞賛するのはいいんだけど、そこで突然日本人の仲間にするのって、要するにそれって名誉日本人扱いってことですよねえ。個人的にはそういうのって品が無いなぁと思ったりもします。

日本語を母語としているとか、子供のころから日本文化に慣れ親しんでいたというのもあります。海外移住の反対版で、海外の方が日本に移住して子供が生まれて育った。その子供は文化的には完全に日本人でしょう。人種は日本人でなかったとしても。星野ルネさんなどが代表的でしょうか。

こういうことを考えていると、超進歩的な人からは「そもそもみんな地球人なんだから国や民族で壁を作る必要なんてない」って意見も飛んできそうです。理屈の上ではそれは正しいとは思うんですが、一方でその理解を世界人類全員が納得して受け入れられるとは到底思えない。そんな簡単に地球人という思想を受け入れられるんだったら国家間や民族間の紛争なんてとっくになくなってるはずですよねぇ。遠い未来には地球人という考え方が一般的になるかもしれないけれど、実現するまでには相当に時間がかかるんじゃないかなぁと思ってます。

最初のどこまでが日本人の仲間であるかって疑問に立ち返ると、なかなか線引きは難しいなぁ。すぱっと線が引けそうにない。また、これってやっぱり自分が安全地帯から勝手に論評してるんだっていう居心地の悪さがあるんですよね。つまり、私自身は日本国籍を持っていて、人種としても民族としても日本人で、日本語を母語として日本文化に慣れ親しんで育ってきたという。自分自身の日本人としての地位が揺らぐ心配がないと確信したうえで、微妙なライン上に居る人を一方的に論評しようとしてる。うん。とっても下品だな。名誉日本人を認定してる人のことを批判できない。反省。

というなかで結論としては特にないです。地球人という考え方が理想というのは理解できますし、自分としても出来るだけその思考であろうとは思いますが、常にそれを実践できるかというと自信はない。愛国心は問題の種になることもありますが、いい面だってありますしね。