音楽の演者と聴衆の間にある壁

2021/1/15作成

今まで音楽とは全く無縁の人生を歩んできたのですが、五十の手習いでサックスを習い始めたことから、泥縄にですがライブを聴きに行ったりするようになりまして。ライブ自体は素晴らしいのですが、そこで感じたのは、音楽って演者と聴衆の間に壁があるんじゃないかなぁってことでして。

これ、スポーツでもよく言われることですよね。自身がプレイして楽しむのか、観戦して楽しむのか。もちろんですが、どっちが偉いっていうような優劣はありません。プロとしてプレイしてるならともかく、趣味でやっているのならスポーツだろうが音楽だろうが、自分でプレイしようが観るだけだろうが、好きにして楽しめばそれでいいと思います。ただ、音楽の場合は観客から演者になるのに、壁が厚いかなぁという気がしたんです。

音楽特有の事情ってのもあります。楽器の場合、購入するなら何万円何十万円もしますし、それを買ってきてもすぐには演奏できない。音を出すところから始めて、簡単にでも曲を演奏できるようになるまでには結構な練習が必要になります。スポーツだって高価な道具が必要だったり、一通りプレイできるまでに多くの練習が必要な場合もありますけどね。でも例えば野球だったとして、9人対9人の正式な試合をするのは大変ですが、キャッチボールくらいなら公園でも気軽にできる。って、今どきの公園ではキャッチボール禁止されてたりしますけども。ともあれ、キャッチボールくらいの気軽さが音楽にはなかなかないんじゃないかなって気がするんです。昭和の頃には、公園とかキャンパスの片隅で誰かがギターを奏でてみんなでそれに合わせて歌ってるみたいな光景がありました。って、私はリアルタイムではそれを見たことのある世代ではないんですけどね。でも今はそういう光景って無いですよね。

聴くだけという行為が下位で、演奏する行為が上位だっていうつもりはないんです。どっちも素晴らしいことだと思うんです。ただ、聴衆から演奏者に移動することに対して、ものすごい壁があるような気がするんです。ああそうか、書いててちょっと整理出来てきたけど、要するに今は「人に聴かせる音楽」しか無いんだ。プロが高度な音楽を演奏し、聴衆がそれを聴いて楽しむ。それももちろん音楽の楽しみだけど、自分で演奏して自分自身が楽しいってのも、音楽の楽しみとしてあると思うんですね。というか、自分が今やってるのがまさにそれで。私が演奏するサックスなんて誰も聴きませんが、ただただ私自身が楽しい。つまり「自分が楽しむ音楽」ってのが、もっとたくさんあるといいと思うんですよ。もちろん私が知らないだけで、実際には自分が楽しむ音楽を楽しんでる人もたくさんいるんだとは思うんですけどね。市民楽団とかママさんコーラスとか、自分の観測範囲には含まれてないので、単に私が知らないだけかもしれない。演奏技術の問題も、子供の頃にピアノを習っていたとか、中高生で吹奏楽部に入っていたとかで、実は楽器の演奏経験がある人ってかなり多いと思うんですね。ざっくりですが10人に一人くらいはなんらかの楽器演奏経験あるんじゃないでしょうかね。なら、自分が楽しむために演奏してみるってことがもっとあってもいいんじゃないでしょうかね。

例外的に自分が楽しむ音楽が実現されてるのってカラオケかもしれないなと思うんです。仲間内で行くカラオケでも、別に仲間に聴かせるのが主目的でもない。だいたい他人が歌ってるカラオケなんて半分くらいしか聴いてない。自分が歌いたくて行ってる。それが行きついて一人カラオケってのも一般化しましたし。ということを考えてたら文学のカラオケ化という概念があることを知りました。音楽と同じように、文学の世界でもプロの作家が読者に作品を提供するだけではなく、素人が作品を作って参加するようになったことを指しているそうです。記事中にもあるように、同人誌はマンガにおけるカラオケ化ですし、最近ならTwitterマンガなどもその範疇かもしれませんね。リンク先の記事では、プロの作家側からはレベルが低下すると批判されているそうですが、個人的にはその指摘は当たらないかなと。そりゃ素人がカラオケ的に作った作品が傑作になることはないでしょう。でも下手でも作品を作った経験があれば、確実に素人の審美眼が上がります。結果、プロの作品に対する目が利くようになって、プロの作品のレベル向上につながることが期待できます。というかですね、プロのレベルがどうこうは関係なく、自分が楽しくてやってるならほっとけって話ではあるんですけどね。カラオケそのものが普及したことで音楽のレベルが下がったなんて行ってる音楽家なんて居ないでしょうに。

話が長くなってしまいましたが、そろそろまとめられるかな。音楽は演奏者と聴衆の間に壁があるような気がする。結果「人に聴かせる音楽」だけが大きく存在し「自分が楽しむ音楽」は存在が小さい。例外的にカラオケにおいてはその壁は取り払われているけれど、楽器演奏ではカラオケと同じような仕組みはまだ存在していない。演奏者と聴衆の壁が低くなって往来が増えると、音楽がもっと豊饒になるんじゃないかなという期待があるという感じです。