持ってるモノの多寡ではなく増減が幸福感には重要?

2020/11/3作成

最近失職しまして、しばらく貯金を崩していく生活に突入いたしました。あ、失職したといってもコロナ解雇ではありません。もろもろ事情がありまして。

貯金はたくさんはありませんが、しばらく暮らしていくのには十分な額があります。なので心配する必要はないのですが、やはり生活費を引き出して貯金の残高が少しずつ減っていくのを見ると、ちょっと心がちくちくするものがあります。これをずっと続けてると、それだけでメンタル病みそうだなぁ。まあ、一方で仕事のストレスからは解放されるというメリットもあるんですけどね。

こういう生活になって思ったのが、タイトルに書きました通り、幸福感には持ってるモノの多寡よりも増減の方が影響が大きいんじゃないかなぁということ。私が最初にこういう考え方を知ったのは下流社会 新たな階層集団の出現を読んででした。高度成長期などは、現代と比べると物質的には圧倒的に貧しい生活でした。でも人々は、毎日今日より明日が豊かになるという実感を感じて幸福に暮らしていたと。一方、バブル崩壊以降は停滞もしくは衰退する一方です。便利な道具がたくさん登場しましたので生活は便利になっているはずなのですが、それは幸福感に繋がっていない。つまり、幸福感には現在どれくらいのものを持っているかではなく、昨日と今日、今日と明日の変化の度合いの方が影響が強いのかなということです。

最近読んだ[俳優 木下ほうかさん](下)コロナ禍の自殺…うまくいっている人ほど絶望するんですよ。不思議じゃないですねという記事には、売れている芸能人こそ、少し売れなくなったときに大きく不安になるということを述べていらっしゃいます。外部から見ると、ちょっと売れなくなったと言ってもそれでも十分売れているんだから気にしなくてもいいと思えるんですが、当人の感覚としては、以前より売れなくなってしまったという点の方が大きく気になってしまう。なるほどなぁと思います。

成功して一生遊んで暮らせるだけの財を成した人が、さらにどん欲にお金を求めることがあります。事業欲なら、まあ仕事が好きなんだなで済みますが、とにかくお金を求めて失敗して大損したり、時には犯罪を犯してしまったりということもあります。何もしなくても一生遊んで暮らせるのに、なんでそんな無茶をするんだと思ってしまうわけですが、これも財産を日々取り崩して減っていくのに耐えられないのだとしたら理解も出来ます。

もうちょっと身近な例では、十分な老後資金を持っているのに、その資金を増やそうと怪しげな投資話に騙されて財産を失ってしまう老人とかもですかね。なにもそんなリスクを取らなくてもと思うのですが、当人としては資金を取り崩す生活に耐えられなかったのでしょうか。老人の場合、お金が足りないからといっても頑張って働いて稼げばいいというわけには行かない、しかもそれが今後ずっとというのが、よりストレスの強いポイントかもしれません。若い人なら一度全財産を失っても、そこから這い上がっていくことは不可能ではありませんからね。

そう思うと、今後の老人ってもしかして非常に辛い老後を過ごさなければならないのかもしれないとも思いました。今の老人層は、まだ年金だけで日々の生活を賄うことが出来たりもします。様々な事情で十分な年金がもらえてない人もいるわけですが、それはいったん置いておいて。年金だけで生活がまかなえれば、ひとまずお金が減っていくストレスからは解放されるわけです。この先大病を患ったり要介護になったり介護施設に入ったりとかで収支が変わる可能性はありますが、とりあえず現時点では収支がプラスの生活を送れてるわけですね。

でも、今後の老人はそうではありません。もらえる年金額は生活を支えるには不十分です。金融庁は老後に2000万円を用意しなさいと言うわけです。2000万円あれば、計算上は老後も死ぬまでの生活は確かに賄えます。しかし、その生活は2000万円の貯蓄を毎月数万ずつ取り崩して、だんだん貯金残高が減っていくのを見続ける生活でもあるのです。しかもそれが死ぬまで続く。なかなか痺れる話ですよね。

お金というのは人間が作り出した概念でしかないのはそうなんですが、一方で多くの人がそのお金に人生を振り回されてしまうというのも事実。なかなかやっかいなものですねぇ。

ええと、例によって、だからどうしたらいいって話はありません。ただ単に、今後の老人層の老後の生活は、たとえ2000万円用意できたとしても、精神的にはしんどいものになるんじゃないかなぁって話です。私もその今後の老人層に含まれる年代なんで、こりゃ困ったねと思うわけですが。