人はモノの値段を相対的にしか判断できない

2019/10/19作成

買い物をするとき、よほどのお金持ちでない限り値段を確認しますよね。 そのモノが、その値段で妥当かどうか考えて、妥当であると判断した場合にのみ購入というステップに進みます。 では、値段が妥当かどうかという判断はどうやって行われるのか。 缶コーヒーが130円で売っているとして、その値段が妥当であるかどうかはどうやって判断しているのか。

音楽のダウンロード販売の適正価格のアンケートで100円がいいという意見に対してとあるアーティストが「俺の曲は缶コーヒー1本分の価値も無いのかよ」と怒ったという話があるそうです。 気持ちはわからないではないですが、そもそも曲の値段と缶コーヒーの値段って比較できるものなのでしょうか。 それはそれとして、缶コーヒーを作ってる人に対して失礼な言説でもあるのですけどね。

多分ですけれど、人はそこで絶対的な価値観では価格を判断できないんじゃないかと思うんです。 過去の買い物経験に照らし合わせて妥当であるかどうかでしかないのではないかな。 缶コーヒーであれば、過去に缶コーヒーがいくらで売っていたかが妥当の判断の基準になる。 昨日120円で売っていたとしたら、130円は高いと判断する。 隣の店で140円で売ってたとしたら、130円は安いと判断する。 そういう判断の組み合わせでしかないのではないかなと。 そういう経験や情報が全く無い状態で、いきなり缶コーヒーに130円の値札が付いていても、それが妥当であるかどうか判断はできない。

これに私が気付いたのは、オーストラリアツーリングをしていた頃のことです。 ツーリングですので、毎日次の街次の街へと移動し、日々スーパーマーケットなどで食料品を購入するわけです。 最初のころは、豪ドル表記の値札を日本円に換算して日本での価格と比較して安いか高いかを判断していました。 しかし、ある程度慣れてくると豪ドルのまま値段を判断できるようになったんです。 その時に判断の基準になっているのって、今までの街での買い物の経験なんですね。 そのパンが10A$で妥当かどうかは、絶対的な価値観で判断しているのではなく、過去の街でパンがいくらで売っていたかによっている。 ということに気付いたときに、ああ人はモノの値段を絶対的に判断することはできないのだなぁと思った次第です。