対案無き問題指摘はありかなしか

2019/8/27作成

問題指摘は指摘だけ単独でして対案は他の人が考えればいいじゃないかという意見と、対案とセットでなければ問題指摘をしてはいけないという意見があります。個人的には前者に寄りたいところではあるのですが、後者が妥当なシチュエーションもあるよなぁと思っています。つまり、両方の言い分がそれなりに納得いく。この反対の意見の両方が自分の中で成り立っているのが気持ち悪かったんですが、少し整理できたのでここで吐き出してみたいと思います。

例え話は良くないというのですが、抽象的な話だけだとわかりにくいので例え話で進めたいと思います。例えとして
「原発は危険だからすぐさま全停止しろ」
「そうしたら電力が足りなくなって社会が大混乱する。どうやって電力を安定供給するんだ」
「そんなことは知らん。偉い人が考えろ。とにかく原発を止めろ」
というような話を考えます。あくまでも例えですので、原発の是非自体はここでは論じません。原発止めても電力は足りてたじゃないかとか、原子力村の陰謀論だとか、そういうのはよそでお願いします。

ここでは、原発は危険だから止めろという問題提起に対して、代わりの電力をどうするかとセットで提案しなければならないか否かという話をします。ぱっと見たところ、どっちの立場に立ってもそれぞれ妥当な意見のような気がします。が、ここで気がついたのですがそもそも問題提起とは「原発は危険である」というところまでではないでしょうか。「危険だから原発を止めろ」は行動案の提起ですよね。そしてこの行動案には不足する電力をどうやって賄うかというプランが欠けているのです。そう考えれば納得いきませんかね。

またちょっと別の例え話をします。とある会社の社長が「来期の売上げを2倍にしろ。どうやって実現するかはおまえ等考えろ」という提案をしたとします。行動案の提起ですが、具体的な行動案が伴ってないですね。まともな社長であれば、売上げを2倍にするために営業社員を増やすとか、工場を増強するとか、新製品を開発するとかをセットで考えます。そしてそのために必要な資金を銀行から融資を受けるプランも考えます。完全ではなくても、考えられる方策と問題点の対策を一通り考えるのが計画というものです。荒削りでも計画が出来上がっていれば、社員もその計画をさらにブラッシュアップして完全なものにすることができるでしょう。でも必要なパーツが欠けた計画では、それもできません。

もとに戻って原発です。原発を止めるというのは行動案の一つです。それによって発生する問題の対処もセットでなければ計画とは言えません。原発は危険だという指摘であれば単独で行ってよいですが、原発を止めろという行動案に対して付随する問題点の解決が考慮されていないのなら、それは売上げを2倍にしろとわめいているだけの社長と同じだなと思った次第です。


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