チェ・ゲバラはなぜ死を選んだのか

2018/9/23作成

私という人間は本当に無教養な人間でして、チェ・ゲバラについても長い間全く知らずに過ごしてきました。ようやくその名前を知ったのも、実は「ギャラリーフェイク」にエピソードとして登場したからという体たらくでして。ほんと、我ながらひどい話だな。

ともあれ、ギャラリーフェイクでそういう有名な人が居るのだなと言うことを知りました。一度知ってしまうと、それまで何気なく聞き流していた情報の中に登場する名前も気になってくるようになります。それまでも同じように目にはしていたと思うのですが、知らないと気にもとめないわけですね。

そうして時々チェ・ゲバラの名前を目にするようになり、どうやら世間の多くの人の尊敬を集めている著名人ということがわかってくると、だんだんどんな人であるのか気になってきます。いつまでも全く知らないのも悔しいというか気になりますので、調べてみることにしました。amazonでチェ・ゲバラに関する書籍を検索してみると、三好徹氏による「チェ・ゲバラ伝(ISBN:978-4167900830)」という書籍がわりと人気というか、日本における定番のようでした。ちょうど、坂本龍馬における「竜馬がゆく」に相当するような感じでしょうか。坂本龍馬を尊敬していることを公言している人はたくさん居ます。有名なところでは孫正義さんとかそうですね。でまあ、これらの人の大抵は「竜馬がゆく」を読んで影響されているらしいです。もちろんそれだけではないでしょうけれど。それと同じように、チェ・ゲバラを尊敬してる人は「チェ・ゲバラ伝」を読んで影響されていることがどうやら多いっぽいですね。

ということで本を買って読んでみました。とりあえず、チェ・ゲバラという人がどういう人であるか、その概略はある程度わかったと思います。著者はかなりチェ・ゲバラに思い入れがあるようで、かなり念入りに取材を重ねていてその点でも好感が持てます。ただ、思い入れがありすぎるようで、チェ・ゲバラに入れ込みすぎているような気がするのはちょっときになるところ。特にチェ・ゲバラの最期のシーンなどは評伝というよりはほとんど小説の描写であり、そこまで描写されると評伝を読んでいるつもりの者としては興ざめになります。

また、本書を読んで気になった点もいくつか出てきました。一つは筆者がひたすらにチェ・ゲバラを人類史上唯一の革命家であると持ち上げていること。もう一つは、なぜチェ・ゲバラはキューバ革命後に再度ゲリラ線の最前線に戻ったかということ。この二つの疑問を持っていたのですが、どうやらこれは一つの回答に結びつくのではないのかなという気が最近になってしてきました。

三好氏がチェ・ゲバラを人類史上唯一の革命家と持ち上げる理由は、革命に成功したにも関わらず、君臨せず再度革命の現場に身を投じたという点ですね。確かに、多くの革命家は革命が成功した暁には君臨するでしょう。それはその通りで、革命は手段であって、君臨が目的なのですから。君臨と言っても権力欲によるものもあるでしょうが、少なくとも革命時点では革命家は自分の理想とする統治を目的としているわけですよね。

実際、キューバ革命ののちにはフィデル・カストロをはじめとする革命メンバーは統治に移りました。チェ・ゲバラ自信も当初は革命政府の閣僚として統治に参加しています。にもかかわらずチェ・ゲバラは革命政府を去り、再度ゲリラ戦の最前線に身を投じます。なぜでしょうか。チェ・ゲバラの革命の目的は欧米資本主義による世界支配に対する対抗だったはずです。その対抗の手段の一つとして、キューバ革命を成し遂げました。その先に欧米資本主義と対決するにあたり、小国とはいえ一国の閣僚という立場のほうが、一ゲリラ兵卒としてよりも力が強いというのが通常の考え方だと思います。にもかかわらず、チェ・ゲバラはなぜ革命政府の閣僚を辞したのか。

一つの理由は、チェ・ゲバラにとってはキューバ革命は通過点の一つに過ぎなかったという点が考えられます。他の革命メンバーはキューバ人ですので、キューバでのみ革命が成れば目的は達成されたことになります。しかし、アルゼンチン人であるチェ・ゲバラにとってはキューバはあくまでも救うべき第三世界の国の一つでしかありません。ならば、キューバで閣僚として君臨しながら余生を送るのではなく、次の革命戦に向かうのはむしろ自然だったかもしれません。それにしても一兵卒として戦うよりも、閣僚として戦う方がより大きな戦果を期待できるであろうに、なぜゲリラ戦に戻ったのか。

しばらくそんな疑問を抱えていたのですが、2017年8月に開催された「写真家チェ・ゲバラが見た世界」で疑問を解く鍵を見つけました。もしかしたら三好本にも同様のことが書かれていて私が読み落としていただけかもしれません。そうでしたらごめんなさい。

その理由というのは、革命政府内でチェ・ゲバラとフィデル・カストロとで政策的な対立があったというもの。その対立故にチェ・ゲバラは革命政権内部から遠ざけられ、世界外遊に旅立ったと。なるほど。その対立がなければ、もしかしたらチェ・ゲバラの日本訪問も国連での演説もなかったのかもしれないのですね。

革命政府内でチェ・ゲバラとフィデル・カストロが政策的に対立していたとしても、おそらく人間としては対立やわだかまりはなかったんじゃないかと思うんです。二人とも、そんな俗物ではないと思うんですね。あくまでも私の勝手な予想ですが。革命政府の要職にある人も、おそらくはそこまで俗物はいなかったと思うんですが、多数の人間が集まる政府であれば、そこには様々な思惑を持った人が集まってきます。当然、反カストロ勢力というのもあったでしょう。そうした勢力が力を持って実際に行動を起こそうとしたとき、御輿として担がれる筆頭はチェ・ゲバラだっただろうと思うのですね。そこに思い至らないほど、チェ・ゲバラは愚かな男ではなかっただろうと思うのです。

つまり、チェ・ゲバラは自分自身がキューバ革命政府の不安定要素となることをおそれ、自ら身を引いたのではないか、というのが私の予想です。実際のところはわかりませんが。そして、キューバ政府の閣僚から身を引いても、チェ・ゲバラ自身の欧米資本主義との戦いがおわったわけではありません。でも、閣僚から身を引いてただ一人になってしまったチェ・ゲバラには大きな戦力はありません。そこでチェ・ゲバラが採った戦法は、つまり自分の死ではなかったんだろうか。というのが私の想像。つまり、自分自身の知名度と人気を使い、自分自身がゲリラ戦の最前線で死ぬことによって、世界中の革命家の蜂起を呼び起こそう、というように考えたのではないだろうか。それが、チェ・ゲバラほどの人物が無謀にも一兵卒としてゲリラ戦の最前線に向かい、その結果としての戦死を迎えた理由なのではないだろうか、という解釈をしたのでとりあえずここに書き出しておいた次第です。

そうして自分の命をもって戦ったチェ・ゲバラは戦いに勝ったのでしょうか。欧米資本主義が未だに世界を支配しているという意味では、チェ・ゲバラは負けたのかもしれません。ソ連が崩壊し中国をはじめとする共産国家のほとんどが部分的に資本主義を取り入れるようになったという点では、むしろチェ・ゲバラが戦った時代よりも後退していると言えるかもしれません。

ではチェ・ゲバラはただ負けたのかというと、そうとも限らない。チェ・ゲバラが期待したかもしれない、自身の死を契機とした世界大規模教案革命は残念ながら起こりませんでした。しかし、その死後半世紀が経過してもなお世界中で敬愛されているということは、チェ・ゲバラは勝ったと言えるのかもしれません。