みんな自分が正しいと思いたい

2018/8/26作成

そんなこと言ってねえ!ネットに増加する「なんでも意見だと思う人」の実態とは?

冒頭の記事は要約すると、どんな事象にも込められた意味を読み取り、それに対して文句を付ける人のことを指摘しています。なるほど鋭い指摘だと思いますし、同様に思う方も多いのかネットでも多くの賛同意見がありました。

ただ、疑問もあるんですよ。というか、冒頭の記事自体に対してではなく、それに対するネット民の反応ですね。記事本文には込められた意味を読みとった例として、電車のマナー広告で若者が傍若無人に振る舞っていることを挙げていました。これに対して「若者が常に悪者であるというメッセージ」を読みとって鉄道会社を非難することを挙げていましたが、これたとえ話でも何でもなくて、つい数ヶ月前に実際にあった例なんですね。というか、私もそのポスターに関する記事をみたときは「若者を悪者にするイメージ戦略だ」と思ったものでした。

が、今回冒頭の記事に賛同してる人で、そのことに触れている意見というのは見かけませんでした。同じネット民なのに、そんな手のひら返しをしていいんでしょうか。いやまあ、実際には鉄道会社のポスターに反対意見を述べた人と、今回の何の事象にも意見を見いだしてしまう人という記事に賛同した人は別人なのかもしれないですけれど。でも、全くかぶってないってこともないと思うんですよね。

なので、私なりに思ったこととしては、「何からも意見を読みとってしまうことに対する警告」という記事を理解できるくらいの知性と理性がある人であっても、実際に若者を悪者にするポスターを見かけたらそれに対して意見を読みとってしまう。それだけ一歩引いて冷静に考えるのは難しいことかなと思いました。

ここ数年というか十数年くらいで、ネット世論というのは随分と重みを持つようになりました。最初の頃に指摘したのは、梅田望夫さんの「ウェブ進化論」ですかね。この本の出版が2006年で、書籍中で指摘された郵政選挙が2005年ですから、日本でも10年以上の歴史があります。言うまでもありませんが、今ではネット世論が社会や政治にも大きな影響を与えるようになりました。有名なところでは「保育園落ちた日本死ね!!!」とかですね。

こうしてネット世論が重視されるようになると、従来に比べてより多くの人が手軽に社会や政治に参加できるようになるので、それ自体はいいことかなと思うのですが、問題はネット世論の中身ですね。それなりに検討された意見を出し合って議論されてるのならいいのですが、鉄道会社のポスターに対する反応のように、見たままから反射的に出された意見であるとするなら問題です。また、別の事象に対しては全く反対の立場の意見が出されるというのも問題です。意見を変えること自体はもちろん問題ないのですが、事象ごとに意見が変わって整合性が無く、しかもそれが無自覚であったとするならば、ネット世論自体にも整合性が無くなってしまい、ネット世論に従って社会や政治を動かした際に、そちらにも整合性もなくなってしまいます。

さて、なんでネット世論はそのように反射的で整合性の無いものになってしまうのかというと、これらの意見はもともとは世論と言うほどのたいしたものではなく、言ってしまえばテレビを見ながらのつぶやきと対して変わらないものだからではないかと思います。たとえばテレビのニュースを見ててそれに文句を言っていても、家族の人はまたいつものことだと受け流すでしょう。定食屋で流れてるテレビに酔ったおじさんが文句をつけてても、店主も他の客も相手にしないと思います。ネット世論というのは、もともとはその程度の意見だったんだと思います。テレビを見たままに思った意見を口に出すわけですから、そこに深い洞察も他の意見に対する整合性も無くても当然ですし、それで問題になることもない。

ネット世論にももちろんいろいろありまして、著名なブロガーさんが深く考察して書いた記事なども含まれます。それらの意見はそれなりに価値があるものと仮定してですが、ここで考えているのはSNSなどで反射的に表明されている意見のことです。twitterだったり、はてなブックマークやYahoo!ニュースのコメント欄だったりとかのことですね。もちろんこれらにだって深い洞察に基づく価値の高い意見も含まれているのは重々承知の上で、反射的に行われた比較的軽い意見も多いのではないかなと思います。

反射的に行われた軽い意見は、本来はテレビのニュースに対する文句と同様にその場で消えていったはずなのですが、ネットで表明されることでいくつかの特性を備えることになりました。一つは、その意見がその場で消えるのではなく、ある程度長期間残ることです。また、広く多くの人の目に留まることにもなります。その中には、文句を言われる当人も含まれるでしょう。従来、タレントさんのマネージャーの仕事の一つに、ファンレターを事前にチェックしてネガティブなものを廃棄するというのがあったそうです。タレントさんといっても一人の人間。誹謗中傷にさらされて常に笑ってられるほど強いメンタルを持っているとは限りません。なのでマネージャなり所属事務所なりが防御壁の役割をもっていたわけですね。しかし現代はネットを介してネガティブ意見もタレントさんが直接目にするようになってしまった。これはタレントを含めた有名人と言われる方々にとってはきつい時代になったのではないかなぁとは思います。誹謗する側はそれを有名税だから受け入れるべきだと簡単に言うわけですが、有名税を文句なく納められるほどメンタルの強い人間ってのもそうそういないものなんですけどね。

ちょっと話がそれました。ネットでの反射的な軽い意見の特性として、賛同意見が集まりやすいという性質があります。軽い意見を目にした人もまた軽い反射的な意見を投げかけることが出来、それを元の発言者も目にすることが出きるわけですから。結果、元の意見を出した人は自分の意見はこのように多数の賛同を得られるものなのだと受け取り、すなわち自分が正義であると勘違いしてしまう。そして意見を出せば出すほど賛同意見というフィードバックを受けていくわけです。多分ですが、ネット活動家というのは、こういうフィードバックのドライブを受けているのではないかなぁという気がします。

ネット世論の特性として、議論の応酬がとてつもなく速いというのもあります。従来、たとえば新聞の社説だとすると、事件があってから社説が出るまでに数日程度のタイムラグがあります。当然そこで論説委員の方は関連する資料や意見を調べたりして自分の意見を深く考察しているわけです。そして出た社説に対して他の新聞が反対意見を述べるとしても、これまた数日かかります。こうして一つの議題に対して議論が数ヶ月とかかかるのも当たり前なのですが、ネットの場合は発言は即時に伝わり、それに対するフィードバックも即時に行われますから、半日や一日程度でネット世論がひっくり返ったなんてこともいくらでもあるわけです。これでは従来型のメディアの論説ではスピードで太刀打ちできません。

長々と書いてきて例によってまとまりがなくなってきてどうやってまとめようかと苦慮してるのですが、もうまとめるのを諦めて書きたかったことだけを吐き出しておきます。結局、ネット世論の反射的な軽い意見というのは、自分が正しいと思いたいという欲望から生まれてるのかなという気がします。いやまあ、誰だって自分はかわいいですし、自分が間違ってると思いたくないです。ましてやネットであろうとも意見を表明するなら、間違ってると思いながらではなくて正しいと思いながらするのも当然だとは思うんですけどね。間違ってるかもとか、反対意見を募って考察を深めたいとかは、よほど精神的に成熟した人でないと難しいと思います。

そうして表明された意見に対して賛同意見を返されると、自分が正しいと思いたい欲望が満たされて満足する。その満足を得るために意見を表明する。近年、不祥事に対する炎上の度合いが激しくなってきてるという話があるそうです。些細なというと語弊がありますが、従来であれば小さなニュースになって終わっていたような不祥事も、ネットもワイドショーもみんなでよってたかって叩いて大炎上というようなことが、多く見受けられるようになったということです。この炎上が起こる仕組みってのは、つまりは絶対的な悪である不祥事を叩くことで、自分が絶対的な正義の立場に立てるということかなと思うのです。不祥事を起こした人が会見を逃げ回ったり、何が悪いんだとふんぞり返ったりすると、炎上は激しさを増します。一方、早々に謝罪会見を開いたら炎上せずにあっさり終わったりもします。そんな仕組みかなぁという気がします。

上の方で紹介した梅田さんの本などでは、ネット時代になって世論が広く素早く展開されることでよりよい世界が到来するというバラ色の未来感が描かれていました。私もその意見を信じ期待していたところなのですが、現実としては現状はネット世論の悪い性質の方が強く出てしまってるのかなという気がします。

ということで特にまとまりがないままに投げっぱなしで終わるのですが、最後に関係ありそうでなさそうでやっぱり関係ありそうな話。アメリカ大統領選挙でSNSを使った世論誘導があったのではないかという話がありますが、ネット世論の怖いところはこういう誘導も割と簡単にできてしまうところ。意図的な誘導ではないにしても、パーソナライズによって個人の嗜好に合わせた記事を抽出することで「好ましいものだけを見てしまう」という問題もあります。そのあたりに対して挑戦しているスマートニュースの方々の記事です。タイトルが就活生向けになってて非常に残念ですが、中身はネット時代の世論を考える上で非常におもしろいです。

若者は規模の大小によらずテック企業を目指せ、スマートニュース共同創業者の鈴木健氏

(2018/8/29追記)

たまたまこのような本を読みまして。スマイリーキクチさんが全く無関係の殺人事件に関与しているというデマを流されて10年近く戦った記録です。このデマ事件自体は知っていたのですが、こうして詳しい内容を読んだのは初めてでした。

何と言いますか、もうやるせない。ほんとやるせない。何度も警察に行って門前払いをくらいながら、ようやく熱心な警官にたどり着いて捜査してもらえてデマ犯を送検までしてもらえたのに。その送検を報じる際にマスコミにネットのデマをそのまま報道されて被害を拡大されたり。ようやく送検したのにやる気のない検事にあたってしまったために全員不起訴に終わってしまったりと。もうほんとやるせないというか、世の中とはなんて理不尽なんだと悲しくなってしまいました。

ここでデマを書いていた人たちも、おそらくは上で書いたような反射的に思ったことを書いたという面のあるんだと思うんですね。10年近くデマを流し続けたってのは、反射的だけではない執着心を感じますが。

テレビのニュースで殺人事件が報道されて犯人はこの人ですと知らされたら、この犯人は酷い奴だと思う人は多いと思います。中には犯人は即刻殺してしまえと思ってしまう過激な正義感(あえて正義感と書きますが)の持ち主もいらっしゃるでしょう。正確にはこの時点では犯人と言われてる人は容疑者であって、これから先送検されて起訴されて有罪判決が確定して初めて犯人と言えるのですが、警察が捜査して逮捕しそれがテレビで報道されるということはそれなりの信ぴょう性があるとは推測されるんですね。もちろん過去冤罪事件は多々あったんですが、警察だって100%冤罪ばっかりではない。確率で言えば、それなりに高い正解率ではあるんですね。たまたま間違いの方に入ってしまった冤罪の方にとっては人生を狂わされる大問題ですが、それはこの記事のテーマとは外れる問題なのでここでは一旦おいておくとして。

殺人事件が報道されて、その犯人に対して怒りの感情を持つのは、まあわかります。理解できます。それがテレビで報道されていることなら、上記したような推測でそれなりに真実に近いだろうことも期待できます。一方、ネットの掲示板に「スマイリーキクチは殺人犯だ」と書いてあったとして、それに対して怒りを覚えるのも、多分同じロジックで起こる感情なんだろうとは思います。問題は、テレビで報じされているニュースに比べて、ネットの掲示板の書き込みというのは著しく信頼性に劣るということですが、そこに気を配れるという人というのはそれほど多くない。いや、多かったとしても、気を配れない人が少数でも存在することが問題ですね。それらの人がネットでデマを流し続けたわけですから。ネットの匿名の書き込みを信じてしまう人が1人でも居たらデマは流されてしまう危険性がある。そして、ネットの掲示板のデマを一人も信じないということは、それは無理だろうなぁという想像が働いてしまいます。

こうなるとなんでしょねぇ。人間界というのは不完全で理不尽なものであって、人間は修行をするために人間界にいるのであって、修行して完全な世界である天界に行こうというような宗教的世界観にもひたりたくもなってしまいます。だからって人間界をより良くしようという努力を放棄することもできませんが。でも、これだとネットは人類には早すぎたんだと思わなくもないですが、一方で技術的に可能なことは実現されてしまうとも思いますので、ネットの登場は必然だったのだろうと思います。また、既にネットは登場してしまったので、今更ネットのなかった時代に戻ることもできません。なので、私たち人類はこの不完全なネット、不完全な世界を、少しでも良くなるように努力を続けて行かなければいけないのかなというように思います。なんか、ほんととっちらかっててまとめにもなってないまとめで申し訳ないのですが。


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