金、暇、健康の三つが揃うことは滅多にない

2016/2/16作成

人から聞いた話なんですが、人生において「金」「暇」「健康」の三つが同時にそろうことは滅多にないそうです。

もちろん例外は多々あるのは承知の上で、一般論として学生には暇と健康はありますが金がありません。社会人になれば金は出来ますが暇はありません。老人には金と暇はありますが健康がありません。こりゃ困ったねということですね。一体いつ人生を楽しめばいいのですか、これは。

個人的には、今の仕事を何も考えずに辞めて、貯金がある限り遊び倒したい。そして貯金が尽きたら再就職してまた金を貯めて、ある程度貯まったら遊び倒すというようなことを繰り返したい。それなら期間限定とはいえ「金」「暇」「健康」をそろえた時間を過ごすことができる。

しかし、これを実践しても再就職の時点で詰むのよな。遊んでいた期間はブランクと見なされるので、再就職にあたっては評価されないどころかマイナス評価。年単位とかの期間だったら、再就職先は非常に限られる。もういっそフリーランスになるとかそういう思い切りをした方がまだましってことになるわけですね。終身雇用が崩壊したと言われて久しいですが、それでもやっぱりまだまだ日本では働き方の多様性は乏しくて、ぶらぶら遊んでいた人間は評価されなくて職にあぶれやすくなってしまうのですね。なんとかならんかなぁと思うわけです。はい。

(2016/3/9追記)

仕事とは余計なことであるという前提で書いてしまいましたが、うまくいけば仕事はそれ自体が生き甲斐にもなる有用なものであります。

仕事が生き甲斐っていうと社畜っぽい雰囲気になってしまいますが、仕事を通じて自己実現とでも言いますか。そういう仕事に就くことができれば、人生は大いに有意義なものとなるでしょうね。なんせ仕事に費やす時間は人生のなかでも結構な割合になりますので、それが嫌々の辛い時間ではなく、楽しくやりがいのある時間であれば幸福なことでしょう。

ただ、なかなかそうもうまくいくものでもない。そもそもやりたい仕事に就けるって人はそれほど多いわけではありません。少ないとも限りませんが。乗り気ではなかったけど仕事に就いてみたら面白かったということもありますから、全体としてはそれなりの割合では幸せな人もいるでしょうけれど。

やりがいのある仕事に就けたとしても、仕事ですから全部が全部やりがいに溢れているわけでもない。単純作業とか、時には汚れ仕事とかもしなければいけない。波がありますよね。

あと、自分のやりたい仕事に就いたからって、それで幸福とも限らないのですよね。仕事ってのは基本的に他人のためにすることであって、自分のためではないですから。マンガを描くのが好きでマンガ家になっても、自分の描きたいものではなくて、読者に受け入れられるものを描かないといけないよねって話は、過去に「才能で食べることにおける矛盾」とかでも書きました。だから、「他人に喜んでもらう生き甲斐」って部分しか仕事では得られない。それはそれで大きな喜びだけど、自分自身を喜ばせる部分もありたい人もいるんじゃないですかねってことです。私とかそうですけど。