死ぬのも楽ではない

2015/6/4作成

「苦しまずに死ぬ」なんて穏やかでないワードで検索して来られた方がいらっしゃったようです。そんなテーマの記事を書いたっけと思ったら、「「ガンに生かされて」飯島 夏樹」がヒットしたようですね。なるほど。調べたいことに少しでもお役に立てたのでしたらいいのですが。

それはそれとして、「苦しまずに死ぬ」ってのは、まあ人類みんなの共通の夢みたいなもんですよね。ポックリ寺なんてものあるし、ピンピンコロリなんて言葉もあったりもしますし。でも実際には眠るように死ぬってのはなかなか難しいようですね。

苦しまないの定義にもよるのですが、最近の終活ブームのなかで「延命治療を希望しない」って意見が随分と多く聞かれるようになってきたように思います。確かに、体中に管を何本も付けられて、機械によって生かされている状態というのは、それ事態が苦しみというのも理解は出来ます。ただ、そこで「延命治療は希望しない」って表明しても、実際にはなかなか難しいんじゃ無いかなぁと思ったりもします。って、別に私が終末医療に通じているわけでもなんでもなくて、最近身近にそういうケースを一つみたので、そこで思っただけなんですけどね。

一つは、延命治療というのはすぱっと明確に決められるものでもないってこと。救急医療のなかで行われた治療行為が恒久化してしまって結果的に延命治療ということになるというケースもそれなりにあるんじゃないでしょうかね。この措置を施したらもう外せないのか、それとも回復したら外せるのか、ってのは治療を開始する時点で明確に分かるもんでもないように思います。つまり、エンディングノートで「延命治療は希望しない」って表明しても、それをそれとして治療の可否に反映できるかっていうと、難しいと思うんですね。救急状態において、とりあえずこの措置をしないと確実に死にます、って時に「それは延命治療になるかもしれないから拒否します」ってわけにもなかなかいかないでしょうし。

あと、これは私の勝手な思いこみかもしれないのですが、延命治療をせずに自然に死ぬことを苦しまずに死ぬということだと見なしているってことはないかなと。延命治療で長々と生き続けること事態を苦しみだと思うなら、延命治療を受けないことは苦しみを避けることにはなりますが、「眠るように死ぬ」ことととらえていると、ちょっと違うんじゃないかなと。

延命治療を受けようが受けまいが、人間が死ぬときって、それなりに悶え苦しんで、断末魔の叫びをあげて死ぬってのは、多分それなりに多いと思う。そういう末期の苦しみを避けたいってのは誰しも思うことだけど、それは延命治療を拒否すればかなえられるってものでもないんじゃないかなぁと思う次第であるわけです。

ま、結局のところ人間自分の死に方なんて自殺でもしない限り選べるものでもないわけでして。だからって自殺を勧めるわけでももちろんないのですが。第一自殺なら苦しまないってわけでもないですしね。だから、お迎えがくるまで生きるしかないよなぁという、まあ当たり前の結論に至ったりするわけです。はい。