オー・ヘンリー「最後の一葉」が示す表現者のあり方

2015/3/3作成

思いっきりネタバレですので、未読の方は以下は読まない方がいいのを先に書いときます。

オーヘンリーの短編の「最後の一葉」。病床の少女が窓の外のツタの葉を見つめて、全ての葉が散ってしまったときに自分の命も尽きてしまうと言うシーンはあまりにも有名で、それを引用する作品はこれまで限りなく作られてきました。しかし、意外と本編のストーリーって知られてなかったりしないですかね。そんなことないかな。とりあえず私は知らなかった。

本編がどういう話かというと、もちろん病床の少女が上記のような台詞を言うのですが、最後の一葉がなぜか散らない。雨の日も風の日も、その葉だけは散らずに耐えている。その葉っぱに励まされた少女は無事に病気から回復。起きれるようになってツタを見に行ってみると、なんとその葉は壁に描かれた絵だった。同じアパートに住む老画家が描いたものであったが、その画家は少女の身代わりになるように亡くなっていたのでした。

という話です。この話はこれだけで十分よくできた感動的な話なのですが、私は老画家に注目して、表現者というものを考えてみたい。

老画家はご多分に漏れず、売れない絵描きです。生涯にどれくらいの絵を描いたのかはわかりませんが、ほとんど売れず、無名のままに亡くなってしまいました。しかし、最後の作品であるツタの葉は、少女に勇気を与えるという役割を果たしました。

表現者とは作品を作ることが目的です。そして作品は鑑賞者が必要です。量子力学ではありませんが、鑑賞者の居ない作品は作品ではありません。もちろん誰にも見せずに自己満足のためだけに創作している作家も居ますけれど、それはひとまずおいておいて。そして、鑑賞者の心を動かすことが作品の目的になります。つなげて言いますと、表現者とは作品を通じて鑑賞者の心を動かすのが目的とも言えます。

老画家は作品が売れなかったので、これまでの人生においては鑑賞者をほとんど得ることができませんでした。表現者としては、成功した人生とは言えないでしょう。しかし、最後の作品において少女という鑑賞者を得た。というか、少女ただ一人の鑑賞者のために作品を作った。その少女は作品から勇気をもらって病気を克服した。作品によって心を動かされた。つまり、老画家は少女の心を動かすことができた。

一般に表現者の人生の成功とは、作品が売れて有名になることと思われるでしょう。しかし、多くの人の目に触れて有名になっても、その多くの鑑賞者の誰の心も動かせなければ、果たしてそれは表現者として成功だったと言えるのでしょうか。バブル時代にゴッホの作品を史上最高値で落札した実業家は、実際にはその絵を数回軽く観ただけで、あとは倉庫にしまったままだったそうです。少なくともゴッホにとってその実業家は鑑賞者ではなかったのではないでしょうか。

一方、老画家は少女という鑑賞者を得た。その心を動かした。老画家の人生は一般に言って成功とは言えないかもしれませんが、鑑賞者を得てその人の心を動かせたということを考えれば、表現者としての人生は成功だったと言えるのではないだろうか。そんな風に私は思います。