「女子刑務所にようこそ―日米刑務所入獄記」流山 咲子

2007/2/28作成

珍しいことに日本とアメリカの両方の刑務所、しかも女子刑務所に収監された経験を持つ筆者による女子刑務所体験記。

ということは当然に筆者は刑事犯ということなんだけど、本書の筆者の主張を信じるなら日米のいずれも濡れ衣ということになり、その点が読者が筆者にシンパシーを感じやすくていい本になっていると思う。これが「今は更生したけど、若い頃は無茶したこともあったなぁ」だと、ちょっと感情移入する気になれないからね。

で、獄中記なんだけど、なんというか。こういうと非常に語弊があるんだけど、刑務所の中ってなんだか楽しそう。これは同じく獄中記である花輪和一氏の「刑務所の中」を読んだときも感じたんだけど、刑務所の中って衣食住が揃った上に時には娯楽まである。シャバに出れないという一点を除いたら、非常に充実した生活なんじゃないだろうか。実際、これらの獄中記に書かれる囚人は、ある意味凄く楽しそうだし。時々、年老いた常習犯がシャバで暮らしていけないので小さな犯罪を犯してわざと捕まるというニュースがあることだし。ただ、だからといって自分が刑務所の中に入りたいかというと、やっぱりそうは思わない。やはり、シャバから隔離されるというのが最大の刑罰なんだろうか。

なんというか、私が感じた違和感は、刑罰のための施設として刑務所があるのだとしたら、そこに収監された人たちはこんなに楽しそうでいいんだろうか、という単純な疑問。近世以前の陰惨な牢屋が正しいとは思わないけど、もうちょっと辛そうにしてもらわないと、刑罰の意味がないような気がしたりもする。現状だと、刑罰としての収監というよりは、更生教育とシャバからの隔離としての意味の方がはるかに大きいんじゃないだろうか。

筆者はアメリカの刑務所に収監されているとき、別の刑務所に移される機会があったらしい。そのときの護送担当の刑務官が非常にアバウトで、どういうわけか空港で「こっから先は一人で行ってね」と言って帰ってしまったらしい。おかげで筆者は到着した空港で刑務所に電話して迎えにきてもらったとか。「なんで逃げねーんだよ」と到着した刑務所で大笑いされたそうだけど、これは筆者の判断が正しいよな。終身刑や死刑囚ならともかく、経済犯で残りの刑期は1年ほど。逃げて捕まれば大幅に刑期は伸びる。それに、外国人が逃げてどうする。パスポートすら手元にないわけだから、正規の手段では一生アメリカから出国できない。アメリカ国内でも正業にはつけず、一生逃げ延びる生活を続けなければいけないわけだ。それを思えば素直に収監されて残りの刑期を全うするのが正しい選択だろう。

ところで、この本を読んでふと疑問に思ったんだが、裁判中の被告は刑務所ではなく拘置所に収監される。原則としてこの段階ではまだ判決は下りてないんだから、犯罪を犯したかどうかは決まっていない。その状態の被告を囚人として収監するのは間違っているんじゃないだろうか。もちろん、逃亡を防ぐために拘置所に収監する必要はあるとしても、収監したなかでの扱いは囚人とは違うべきではないんだろうか。