5月15日

2011/5/15作成

夜、孤立した曖昧さ回避を索引に登録する作業をしてたら、既に登録済みのものがいくつかあった。履歴を見ると同じ人。どうやら、私と同じ作業をしている人っぽい。そうかあ、そうやって作業がかぶることもあるかぁ。そりゃそうだよなぁ。

最近、勉強も兼ねてスラドのウィキペディア関係の過去のストーリーを拾い読みしてるんだけど『Wikipediaの将来は「包摂」or「削除」にしかないのだろうか?』(http://slashdot.jp/it/article.pl?sid=08/03/12/0451245)とか興味深いな。私は現状では「包摂」側だけど、ウィキペディアンの中でも意見は割れてるのかなぁ。

「包摂」というのは、出来るだけ多くの事象を網羅すべきというスタンス。一方、「削除」というのは厳選した記事のみを掲載することで品質を保つべきというスタンス。まあ、当然相容れない立場ではあるんだけど、綺麗に二分できるというわけでもないだろうね。中間とか、やや片方よりとか、色んな考え方があるんじゃないかな。

ウィキペディアには一次資料をあてにしないというルールがある。例えば、人物記事の場合、一次資料としては本人(存命の場合)だけど、本人の言うことはあてにならないことになっている。なぜなら「自称○○」が簡単に出来てしまうから。だから、一次資料ではなく、ある程度信頼できる二次資料を基にすることになっている。

でも、例えば書物について書く場合、その書物に何が書かれているかという点においては、一次資料を用いてもいいように思うんだけどどうなんだろう。例えば「ドラえもん」に関する記事を書くとき、ドラえもん自体を参考にするのではなく、秘密本みたいなのを参考にしなきゃいけないんだろうか。

とか思ったんだけど、実際にはそうではない。一次資料でも参考にしていい場合がある。それは、一次資料が信頼できる場合。言い換えれば、ウソをつくメリットが無いとみなせる場合。例えば首相官邸のサイト上にある発表資料とかは、一次資料だったとしても信頼できると考えられる。ウソをついてたら、大変なことになるからね。また、書物の場合は、その書物に何が書かれているかという点については、その書物を参考にして構わない。ただし、その書物が百科事典の記事になりうる特筆性を持っているかどうかは、その書物はあてにならない。例えば、ドラえもんがコミックスの累計売上歴代一位だから特筆性があるとする場合、発行元である小学館がそう発表してても、それはウソをつくメリットがあるから信頼できないことになる。同じ内容を出版社協会みたいな組織が発表すれば、それは信頼できる二次資料ということになる。ということで、いいかな。

勉強のためも兼ねて、自分が関わってない削除依頼の議論も多少読んでるんだけど、結構ガイドライン以外の過去の議論を理由に持ち出されることが多いような気がする。法律主義ではなく判例主義というか。これって、どっかにまとめておいてもらわないと、新人は議論に参加できないような気が。


あおやぎのさいと2.0 新人うぃきめでぃあん日記