マンションの崩壊は不可避か

2013/6/10作成

特集が気になって、久しぶりに週刊東洋経済(2013年 6/8号)を買ってみました。

「マンション時限爆弾」ということでかなりショッキングな見出しではあるのですが、内容を読むと別に煽りでもなんでもありません。ここに書かれている老朽化マンションの崩壊は多くの分譲マンションで実際に起こることでしょう。

それは別に週刊東洋経済が今回取材して初めて明らかになったというわけではなく、ある程度分譲マンションについて知っている人なら既に知っていたことです。私ですら知っていたことですから。ただ、今回の記事を読んで思ったのは、老朽化マンションの崩壊は脅し文句的に言われていたのが、不可避になったであろうこと。そして、その実例も少なくない数で出始めているということではないかと思います。つまり、10年前から言われていた危機に対して、政治も行政も業界も、結局は何の手も打つことができず、最悪の事態を迎えつつあるということではないかと思います。

特集記事についてはそういう感じです。記事が掲げる対策はコミュニティの構築と活性化というのは、従来の私の思っていたことと一致しますので違和感はありません。一方、老朽化マンションの解体についてあまり触れていないのはちょっと不満。私としては以前もマンションを建替えてはいけないで書きましたとおり、老朽化したマンションを建替えするのには反対で解体するべきだと思っています。

住民の高齢化と建物の老朽化という二つの老化に直面するマンション。それに対して無策であるなら、スラム化・廃墟化という末路しかありません。そうなっても私有財産であるわけですから、行政も手を出すことはできませんから、防犯上・防災上の問題を引き起こすことにもなります。こうなると分譲マンションという仕組みそのものが悪であるかのような気もしてきます。放棄された分譲マンションを強制的に収用できるような法整備が必要かもしれません。

そして、区分所有者として出来ることは何か。もちろんコミュニティを活性化させて管理組合を機能するようにすることが大事なのですが、個々人の力ではそこまでも難しい。となると、崩壊する前に売って逃げようというのも、個々人の判断としてはやむを得ないのではないか。そんな暗い気持ちになりました。

(2019/2/19追記)

廃墟マンション崩壊の危険 アスベスト露出、飛散の恐れも

おそらく同様の例は日本中あちこちで見られるようになっているとは思いますが、たまたまニュースで見かけましたのでこちらでも触れておきます。

滋賀県野洲市にある築47年の老朽マンションが崩壊寸前になっているというニュースです。 3階建て9戸というのは現代からみると小規模ですが、50年前なら普通だったのですかね。 10年前から住む人が居なくなっていたそうで、この10年間で廃墟化がすすんだことがうかがわれます。

記事には写真も載っていますが、これを見るとかなり衝撃です。廃墟マンションと言って想像されるレベルをはるかに超えている。 壁や天井も崩落し、危険でとても建物に立ち入るどころか近づくことすら容易ではなさそうです。 いつ建物が倒壊してもおかしくないように見えます。

昨日今日にここまでいきなり廃墟化が進んだわけではないでしょうから、部外者としてはなんでこれまで放置していたんだって気もしますが、当事者だって自治体だって近所の人だって別に放置してたわけでもないんでしょうね。 そう簡単に解決できる問題でもない。

このマンションの場合、10年も誰も住んでないにも関わらずなんと9戸中7戸の区分所有者と連絡が取れる状態にあるそうです。7戸の区分所有者は全員解体に賛成しているそうですから、大変惜しい。 あと1戸の賛成が得られれば5分の4の賛成で解体決議ができるのですが、残りの2戸の区分所有者は連絡がつかないそうです。 と思うのですが記事には解体には全員の賛成が必要とありますね。 古いマンションは何か要件が違うのか、それともこのマンションの管理規約が古いままで全員の賛成が必要な条項が残ってしまっていたのか。 だとしたら放置された管理規約も時限爆弾になりえるということですかね。

上の文章を書いた際には行政による強制解体は不可能だったのですが、その後「空家等対策特別措置法」という法律ができたために、行政による代執行が可能にはなりました。 この法律は廃墟マンションの対策にとって大きな前進ではあるのですが、だからとって行政がほいほいとマンションを解体できるわけでもない。 あくまでも最後の手段でしかないのですよね。

最終的には行政が解体するしかないわけですが、そのための費用を行政が出すことにももちろん問題はあります。 安易に行政が解体費用を出してしまうと区分所有者の逃げ得を許してしまうことになり、モラルハザードが起きるでしょう。 だからといって区分所有者の責任で行政が手を出さないでいると、周辺住民にも地域にとってもマイナスになってしまう。 せめて解体後の土地を売却した費用で解体費用が賄えればいいのですが、地価の下がっている地方ではそれも難しい。

ほんとこれ、どうしたらいいんでしょうねぇ。

(2019/6/12追記)

なぜ「分譲マンション」の廃墟化を止められなかったのか…異例の「行政代執行」で解体

滋賀県野洲市の廃墟マンションが行政代執行による解体が決まったそうです。 ひとまず前進ですが、このあと解体費用が所有者から回収できるかどうかという問題も残ります。 ともあれ、関係者の皆様ここまでこぎつけるのも大変なことだったと思います。 お疲れ様でございます。 私なんぞがこんなところで書くことではないとは思いますが。

ところで私、解体決議は区分所有者の5分の4の同意で出来ると思ってたのですが、改めて二つの記事を読むと全員の同意が必要とありますね。 建替決議は5分の4でよかったと思いますが、解体決議はまだ全員の同意が必要なんでしたっけ。 解体決議についても5分の4で出来るようになったというのをどこかで見たような気がしたのですが、勘違いだったようです。 失礼いたしました。

(2019/9/29追記)

このような記事がありました。

鬼怒川温泉に10年以上残り続ける「廃墟ホテル」、解体は「1棟2億円超」で身動き取れず

有名温泉地である鬼怒川温泉に、廃墟となったホテルがあちこちにあることで景観が悪くなっているだけではなく、治安や防災上の問題にもなっているとのこと。鬼怒川温泉だけではなく、全国の観光地でも同様のことは起こってますよね。

この場合は温泉地の旅館ですが、同じことはマンションにも言えると思います。古くて廃墟となったマンションが、買い手が付かず放置されてしまうというのは、すでに全国で起こっていますし、今後加速度的に件数が増えていくことが予測されます。

これ思ったんですが、資本主義の仕組み上の問題ではないのかな。資本主義というとちょっと正確ではないかな。経済成長至上主義の限界かなと。

こうした物件は従来でしたら新たな買い手が現れました。買い手は廃墟を取り壊して更地にし、新たな物件を建てて収益を挙げます。その収益は土地の取得費用、廃墟の解体費用、新たな物件の建設費用を全て賄ってもなお利益があるものでした。そりゃそうで、利益が見込めるからお金を出して土地を取得するわけですよね。逆に言えば、利益が見込めないから買い手が現れずに現在廃墟となっているわけですね。

土地を取得して建物を建てて収益を挙げ、廃墟となったら解体してまた新しい建物を建ててあげる収益は解体費用を含んでもなお利益があるもので。そのサイクルが永遠に続くことを前提として土地運用が行われている。サイクルが途切れたから廃墟が残ってる。そういう仕組みですよね。

収益があがるサイクルが回り続けるというのは、それはつまり経済は永遠に成長するというモデルを前提にしてるわけですよね。人口は増え続ける。売上は上がり続ける。空いた土地を見つけては開発し、開発した土地は永遠に右肩上がりの成長を続ける。そういうモデル。実際、高度成長期からバブル期までの日本ではそういう経済モデルが成立していた。なので温泉旅館もマンションもそのモデルに従って建て続けられてきた。でもそうした時代は終わっている。しかも30年も前に。なのに未だに経済成長モデルから脱却できてないから、こうした廃墟が生まれてしまう。

永遠の経済成長モデルからの脱却が必要というのはわかるのですが、ではどういうモデルがいいのかというと、これは難しいですね。私はちょっと思いつかないし、多分偉い先生方でも思いついてないのではないのかな。だから未だに経済成長モデルのままでいるわけで。

廃墟は今そこにあるリスクとして問題です。景観を悪くしますし、治安上の問題もある。災害時には周囲に莫大な被害を発生させる可能性が非常に高い。では問題だから撤去して更地にしようとしても、誰が解体費用を負担するのか。土地建物のオーナーが負担するのが原則ですが、お金が無いから放置しているわけですよね。場合によっては会社が倒産してたり所有者が死亡していたりもする。では行政が代わりに解体するかというと、地方自治体にはそんな予算は無い。国が負担することもできるけれど、そうすると廃墟を放置する事業者が大量に発生するモラルハザードが容易に想像される。モラルハザードを防ぐ周到な法整備を行った上でないと行政による解体は難しい。

いっそ放置するという方法もあります。廃村などはそうなってますね。建物は解体されず長い時間をかけて自然に帰ります。実際にはその課程で自然破壊をしているという問題もあるのですけれども。地域丸ごと捨て去るのならそういう方法も採れますが、実際には廃墟というのは地域で一斉に発生するのではなく、まだらに発生するわけです。鬼怒川温泉のように。まだそこに住んで経済活動を行っている隣で廃墟が発生する。コンパクトシティがなかなか実現しないのも同じ理由ですよね。都市が周辺部から徐々に衰退していくのならコンパクトシティも実現しますけれど、実際にはまばらに人口が減っていく。都市域自体は縮小せず人口だけ減るので、都市機能はずっと維持し続けないといけないという大変さ。

なんというか、書いてて非常に辛くなりましたが、どうしたらいいんでしょうねこれ。経済成長モデルに代わるモデルの開発と実施が必要と言うことはわかりましたが、それってどういうモデルなんだろう。