食肉工場の倫理観

2012/3/1作成

少し前の話ですが、

「ニワトリを脳死状態にして育てる肉工場」のコンセプト

という記事がありまして、直感的に「うわー」とひいたわけですよ。

でもですね、落ち着いてよく考えてみると、果して本当にひどい話かどうか。ていうか、これがひどいなら、現状の畜産農業はひどくないのか、という話でして。突き詰めていくと「他者の命を食料としていただく」という行為自体の是非になってきて、宗教観とかそういうところに話が飛んでいってしまって収拾がつかなくなってしまうのですが。

とはいえ、現実問題として日常的に「他者の命」を食料として食べているわけです。それが現場ではどうなっているか知るのは大事ということで、少し前に屠殺女子の記事が人気になっていたりしたわけでして、それはそれで分かるんですが一方でそういうことから目をそむけて暮していける現代社会というのは、それはそれで幸せの一つの形ではないかとも私は思ったりするわけです。

実際、私は屠殺したことがないし、多分これからも屠殺することなく、それでいて「命」を頂いていくと思うのですが、そのことに対する罪悪感の裏返しの罪逃れ的な意識がなくはないのですが。でも「屠殺した者だけが食べてもよい」とする社会ってのも、なんか気持ち悪くないですか?近世まではそれに近いシステムだったわけですが、その時代に今から戻れないですよね。

個人的には、こういう問題からは目をそむけて暮らしていきたいと思っていますので、培養肉とかが早く実用化されないかなとか思ってます。別にがんもどきでも構わないのですが。ただ、この記事を書いていてわかったんですが屠殺(とさつ)を変換できないIMEはちょっとおかしいと思います。そこまでの清浄を私は求めてない。


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