技能が客観視出来るかどうか

2024/3/25作成

消すかも
凄く大切な話をします

結局ミュージシャンって金ないやつが才能で社会で這い上がる為の手段だったわけだよ。…

— 山本コージ (@kojiguitartweet) March 23, 2024

もの凄く乱暴に要約すると、音楽で成功するにはお金が必要ですよという話。このポスト自体もだけど、ポストに対する反応も様々で非常に興味深い。

お金が必要かどうかはともかく、音楽業界で売れていくには技能だけではだめってのはそれはそうなんだろうと思うんだよね。実際、天才的に上手いプレーヤーだけど全然売れてないって人もたくさん居る。と思う。売れてない人のことは知りようがないので、分からないんだけどね。でもまあ、音楽業界に限らず役者でも漫画家でも小説家でも、エンタメ業界の人って売れるかどうかってのは運とか他の要素が非常に重要だろうなと言うのは分かる。同業者の間で、あいつはあんなに才能あるのになんで売れてないんだって言われてる人もいっぱいいるよね。

そこでふと思ったんだけども、同じことってプロスポーツの世界ではあんまり言われないんじゃないだろうか。そりゃ巡り合わせが悪くてタイトルに手が届かなかった名選手とかはいるけれども、それでも成績自体はちゃんと立派なものを残してるんだよね。プロスポーツの世界に、あいつは才能はあるのに運がないからプロとして通用してないって人は多分いない。才能があれば、ちゃんとプロとして世に出るところまではいけるんじゃないかな。

その違いってなんだろうと思ったら、それは多分スポーツは成績が客観視可能だからかなと。100メートル走なら誰にでも評価可能なタイムというものが示される。そこにタイム以外の要素は入り込みようがない。一方、ミュージシャンがどんなにうまい演奏をしても、それを数値として客観的に評価することは出来ないよね。観客の一人一人が主観として評価するしかない。CDの売上枚数とか数字化出来るものもあるけれど、それとて非常に多数の変数から成り立っている結果であって、スポーツの客観性とはずいぶんと隔たりがある。

こうして考えると、スポーツとエンタメって評価軸がすごい違うんだなぁというのに気がついて、ちょっと面白いなと思って書き出してみました。なんというか、スポーツって努力の結果が客観的に評価可能であるので、ある意味努力のしがいがあるんだなぁと。エンタメはどれだけ努力しても、売れるかどうかは時の運という要素がどうしたって絡んできてしまう。だからってエンタメは努力しなくていいってわけでもないんだけども。

まあ、私のように何も持ち合わせてない者が勝手なことを言えるほど、スポーツもエンタメも軽々しいものではないってのは重々承知なんですけれども。気を悪くした方がいらしたらごめんなさい。