「フリー」読書メモ

2023/11/13作成

今更ながら「フリー(ISBN:978-4140814048)」を読みまして、その読書メモです。結構流行りましたよね。10年くらい前ですが。その頃にも一度読もうとしたんだけど途中で放り出してしまっていたので、今回リベンジしたというわけです。


第1章フリーの誕生。第2章「フリー」入門。20世紀に無料のサービスが誕生した。大きく分けて4種類。端末無料で通話料で回収するような本人による後払いタイプ。ポイントなら本人の前払いだね。広告主など第三者に払ってもらうタイプ。一部の有料会員が負担するフリーミアム。SNSでの承認欲求など貨幣以外での報酬を支払うタイプ。

21世紀の無料サービスはITによって提供コストが限界まで下がってしまうことによって起こっている。ということは、4種類のフリーには変わりはないけれど、それを実現する可能性が極端に広くなったという解釈でいいのかな。

第3章フリーの歴史。ゼロの発明と経済学の振り返りって感じかな。知ってれば特に重要な章ではなさそう。

第4章フリーの心理学。無料であることの心理的影響。1セントでも支払いがあることと無料であることには大きな差があること。価格の高低と売れ行きには連続的な相関があるんだけど、無料はそこだけ非連続になる。1セントでも支払いがあると、そこには支払うという意思決定が関与するので、広告主にとっては優良顧客となる。逆に言えば無料顧客は広告主にとって優良ではない。無料であることで商品やサービスに対する扱いがぞんざいになる。無料で設計図を提供するが、お金を払えば完成品が買えるというビジネスモデルはお金と時間を交換するという考え方に基づく。若い人はお金が無くて時間が余っているのに対し、大人はお金はあるけど時間はないというところを突いている。海賊版についてこの本では好意的に書いている点は同意できないけど、誰かが実際に行ってしまうという現実については同意せざるを得ないかな。

第5章安すぎて気にならない。情報にかかわるコストは激減して、ほぼ無料になった。無料になったなら、それは気にしなくてよいものだし、また無駄に使ってもいいことになる。ただ単に捨てるのではなく、GUIなどの余力につぎ込めるという意味。かつてのように神殿にまつられた中央コンピュータのようなものではなくなっている。今後価格が急速に低下するなら、その未来にかけて現在の価格を下げるという戦略もあり。そうして供給が膨大になることで、需要が作られることもある。用途を作り手は考えなくてよくて、ただ供給すればよい。ユーザが勝手に用途を考えてくれる。アイデア、すなわち情報はコピーしても劣化しない。

第6章「情報はフリーになりたがる」。ハッカー倫理の「情報はフリーになりたがる」について。前段の省略されがちな「情報は高価になりたがる」も合わせて。ありふれた情報は無料に、希少な情報は高価にという説明もあり。

第7章フリーと競争する。マイクロソフトが違法コピーと戦った話と、Yahoo!メールがgmailと戦った話。前者はやっぱり海賊版を好意的に扱ってる点が同意できないなぁ。世の中から犯罪がなくならないという現実論としては認めざるを得ないので、無料のサービスに対抗するにはどうしたらいいかという論点なら理解は出来るけど。

Yahoo!メールとgmailの話は、イノベーションのジレンマ的にも解釈できそう。すでに大量のユーザを抱えているYahoo!メールは柔軟な価格政策を取ることが難しく、一方これからサービスを始めるgmailは破壊的な価格政策を取ることが出来ると。そしてこのエピソードはYahoo!メールがgmail以上に過激な価格政策を取って対抗したって結論になってるけど、その対抗で失敗した可能性も十分にあるよねぇ。たまたまうまくいったエピソードって可能性が高そうな気がするんだけども。

第8章非収益化。前半はGoogleがほとんどのサービスを無料で提供しながら情報を独占することで巨大な利益を上げていること。後半は、無料のサービスが登場することで従来の市場を直接的には大幅に棄損するけれど、ユーザの富という形で全体としては豊かになっているということ。後半については眉唾な気もするなぁ。綺麗ごとというか。そういう事例もあるかもしれないけど、ただ単に棄損されただけって市場もありそう。

第9章新しいメディアのビジネスモデル。新興メディアであるラジオが広告というビジネスモデルを発明して広まった話から、現代のウェブでの無料モデルまでの振り返り。20世紀型マスコミの広告モデルではコンテンツと分離するのが鉄則だったけど、ウェブではコンテンツと近接させても消費者の信頼は揺らがない、むしろ好感を持たれるという指摘。そしてそれは広告主にとっても好都合であること。

第10章無料経済はどのくらいの規模なのか?。無料経済の規模を概算している。結論として国家予算に匹敵する規模としている。

第11章ゼロの経済学。市場が十分に競争されるなら価格は限界費用まで下がるという古い経済理論が現代において有効になった。デジタル社会では限界費用が極端に安いためにフリーライダーは問題にならない。そもそもコストかかってないので。一握りの人から収益を得る方法は顧客規模が小さいと難しいが、極端に顧客規模が大きいデジタル社会ではほんのわずかなユーザから収益を得るだけで商売が成り立つようになる。

第12章非貨幣経済。マズローの五段階欲求節になぞらえ、情報が飽和することでより高度な欲求が生じるとする。そこで求められるのが注目と評価。そしてこれらはネット社会では数値化することができ、注目と評価の交換が経済として成り立っている。

これ自体はネットの参加者の特性というか動機として理解できる。なんで金銭的報酬も無いのにネットに情報を提供するのかと。それが注目や評価などの非貨幣の報酬であると。ではサービス提供側としては、ユーザにこのように非貨幣の報酬を支払うことで金銭的な報酬を払わずに済ませるというのがサービス設計の肝になるという解釈でいいのかな。

第13章(ときには)ムダもいい。ディスクの空き容量とか長距離電話料金などは、かつては貴重だったが現代ではほぼコストゼロである。自然界は大量のむだな命を生むことで生存と進化の確率を上げている。同じようにサービスやコンテンツにおいても、その生成と配信コストがほぼゼロであるなら、大量の無駄を作ってそのなかから良いものが自然に生まれてくるに任せるという方法がある。

最後の話は同意するところもあるけど、同意しないところもあるな。クズの山から宝が生まれることもあるけれど、クズしか生まれないこともある。

第14章フリー・ワールド。中国とブラジルのフリー経済の事例紹介。中国では海賊版が出回ることでその製品のファンが増え、所得が上がった時に本物を買うようになって結果的に本来の提供元も儲かるという話。これは同意できないな。そういう結果的にうまくいく事例もあるだろうけれども、海賊版で市場そのものが壊滅する場合もある。どんなに頑張っても犯罪を撲滅できない現実論は理解するけれど、それをもって犯罪擁護論にすり替えるのは詭弁だと思う。ブラジルの事例はバンドが全国巡業にあたって、巡業先で先行して格安CDを露天商に販売させてあらかじめファンにさせておくという手法。これは海賊版ではないのなら、宣伝行為なので問題ないかな。

第15章潤沢さを想像する。SFの世界と古代ギリシア都市国家を例にして、潤沢になった世界の想像。SFは総じて暗い話になる。世相を反映した結果というのもあるけれど、潤沢になってハッピーでは物語にならず、潤沢であることの問題点を指摘しないと話が結論づかないという構造もありそう。古代ギリシアでは奴隷労働に支えられていたという問題はあるけれど、満たされることによって次なる渇望を求めてしまうという行動を示す。最終段において、実際に潤沢になってもそれを使うこなせるようになるまでには時間がかかると指摘があり、それはごもっともかなと思う。現在の我々、AIが凄いと大騒ぎしてるけど、それを実際に何にどうやって実用に適用するかうまく見いだせてないもんね。

第16章「お金を払わなければ価値のあるものは手に入らない」。批判に対する回答。気になったのは一つは共有地の悲劇。ただで提供されるとぞんざいに扱われる問題。筆者は実際には費用の発生しているアトムでは問題になるが、ほぼ費用がかかってないビットでは問題にならないとしている。しかし本書が書かれた時代には表面化してなかったけど、現代では無料のSNSでデマや誹謗中傷という社会問題が発生している。これも共有地の悲劇の一つではないかな。この問題を克服する方法を人類はまだ見つけてない。

書籍を無料で提供すればファンがついて買ってくれるというマーケティング手法の成功例を挙げてるけど、これはそういう事例が少なかったから話題になって成功した面はあると思う。全ての著者が無料公開するようになると、それが当たり前になって話題にもならず、誰も有料版の書籍を買うこともなくなる未来はありそう。

新聞や音楽レーベルなどの旧来の産業の仕組みを前提にした業態が再構築が迫られるというのは事実だとは思う。でも筆者が言うように簡単に新時代の業態が構築で来てはいない。今のところ、ただ単に破壊されたってだけの状態で、どうしたらいいか模索が続いてる状態という認識。

結び。ドットコムバブル崩壊やリーマンショックで経済界は大騒動だったけど、ビットによるフリー経済は成長を遂げている。しかしフリーからマネタイズする絶対の方程式はまだ見つかっておらず、どうやったらいいかはみんながこれから考えていくことだって感じかな。正直この章の意図がイマイチ読み取れず。

巻末付録の無料のルールとフリーミアムの戦術は本書の振り返りまとめといったところ。フリーを利用した50のビジネスモデルは実際の事例集をそれぞれ1行で紹介。そして謝辞。なんとか読了。


全体を通しての感想。出版された頃、随分批判された気がするけど、書いてることは事実なんだよね。物質であるアトム経済も価格が下がる方向に圧力がかかってはいるけれどその速度は比較的ゆっくり。一方情報であるビットは急速に価格が低下し、実質的にタダになってしまっている。これは事実なんで批判してもひっくり返らない。

多分だけど、産業革命の頃にも似たような議論はあったんじゃないだろうか。蒸気機関の発明によって従来に比べるとほぼコストゼロで様々なものが作り出せるようになった。当然従来の職工からは大批判があっただろうけれど、だからと言って時代はひっくり返らなかった。現代はアルビン・トフラーの言う情報化の波の時代なので、やはり旧来の価値観とのせめぎあいが起こっているんだろうと思う。ああそういえば「第三の波」も未読だな。そのうち読もう。

この本を読んで個人的になるほどなと思ったのは主に2点。一つは第三者から代金を頂くこと。もう一つは常に提供価格は下がる圧力を受けること。

まず前者について。サービスを提供するとき、どうしてもサービスを提供する相手から代金を受け取ろうと考えてしまう。受益者負担から言ってもそれは正しい考え方でもある。でも、別に他の誰かからお金をもらっても問題はないわけだ。では広告だ、と短絡しそうになるけど、実際には広告で黒字化するのは難しい。広告収入のみで黒字を出せているのって放送業界とGoogle/Facebookくらいではないだろうか。どっちもものすごい巨大なサービスであるということから、広告で利益をだすには規模が重要なんだろうと思う。Googleの場合は加えて自身が広告の元締めになって利益率をあげたってのもあるけれども。ともあれ、一般のサービス提供者では広告のみでは黒字化するのが難しい。でも他にも方法はある。例えば行政からの補助金に頼ってるNPOとか。年金で食ってる西陣織職人とかもそうだね。太い実家から無限に出資を受けてる赤字会社の社長ってのもいた。そこまでダークにならなくても、今ならクラウドファンディングって手もあるしね。ともかくお金に色は付いてない。受益者からでも第三者からでも、とにかく賄えるだけの売り上げをあげられれば商売は成り立つということ。

もう一つ、常に低価格の競争相手が出現するということ。これはもう必然なので、提供価格は最初から無料にしておくのが妥当な気がする。そのうえで他のどこかから稼ぐ方法を考えるしかない。アトム経済なら無料は難しいけれど、ビット経済なら無料は不可能ではない。提供コストはそもそもほぼ無料なんだから。そんな状況なので、常に無料への値下げ圧力が発生する。であれば無料の競争相手がいつ現れるかとびくびくするよりも、最初から無料で提供した方がよさそうだ。

(2023/11/14追記)

無料でサービスを提供するべきの補足というか。無料になるのは原則としてビットのみ。アトムは価格は下がっても無料にはなりにくい。だからサービスデザインとして、ビットを無料で提供して、アトムを有料で提供するという構成を考えるのが妥当なんじゃないだろうか。もしくは、潤沢に存在しうるものは無料で、希少になるものを有料で。ネットサービスは無料で、有人サポートを有料でってのは、サポートを行う人員がアトムってことだよね。今後はここにAIが入ってくるから、サポートもビットになって無料化の波が起こるだろうけれども。そうなったら他の有料に出来るアトムを見つけるしかない。

(2023/11/21追記)

フリーというか無償提供のの良いところとしてサービス継続性の高さがあるのかなという気がします。有償提供の場合、その売り上げでコストを賄っているわけですから、賄いきれなくなるつまり赤字になるとサービスを停止せざるをえなくなります。実際世の中では役に立っているのに赤字だからって中止になるサービスや商品はたくさんありますよね。黒字になるほどではなかったけれども、着実にユーザはいたのに。そのユーザにとってサービスや商品がなくなることは困りごとなんですよね。

一方無償で提供されている場合。この場合、まず提供コストは限界まで下がっていることが前提ですよね。フリーですから。そしてそこから売り上げをそもそも貰ってないですから、単体では赤字でも問題ありません。コストは限界まで下がっているので赤字幅はそれほどでもないわけです。その少ないコストをどこで負担しているかというと、他の事業の売り上げからなんですけどね。でも赤字幅が小さいならそれほど問題にはならない。

あと、有償にすると代金回収のコストが発生するってのもあるんですよね。未収金の取り立てであったり貸し倒れの処理であったりと、有償にすることによって発生するコストも結構大きなものがあります。無償にすると、そういうコストが全部省略出来るというのも大きい。もしも大きな売り上げが期待できるなら有償にするといいのですが、有償にしても対して売上が期待できないなら無償にしておくのも一つの方法かもしれませんよね。

と考えると、趣味とかボランティアで行ってる活動って実は持続性が非常に高いと言えるんじゃないかなという気もするんですよね。一般にはちゃんとその事業で収益をあげられるようにすべきと言われる気がするけど、逆に言うと収益があげられなくなってしまうとそのサービスが止まってしまって、困ってしまう人がいるわけですから。