元号ってどうよ

2023/11/7作成

熊本市が外国人住民からヒアリングしたところ元号が分かりにくいから廃止すべきだという声があがったとして炎上してました。が、これ実際には廃止なんて誰も求めてなくて、単にPV狙いでマスコミがタイトルを盛っただけのことだったみたいですね。しかし最初の炎上だけを見た人はそんな訂正情報はキャッチアップしないので、外国人排斥の気持ちが強くなっていく。こうして分断をあおってるんだなぁという悲しい事件だったわけですが、まあ当のマスコミからしたら分断を煽るのも目的の一つでしょうから、しめしめってところでしょうか。

という炎上系YouTuber並みに堕してるマスコミはとりあえずおいといて元号についてです。個人的には元号ってなくなった方がいいなと思っていました。西暦に統一した方が年数の計算楽だし、各種書類に年月日を記載するときも役所関係を除けばほぼ西暦に統一されています。あとは役所への書類だけ西暦になってくれれば楽なのになぁと思っていました。

が、実際に令和への改元があって思ったんですが、元号って時代を表すのに非常に適切だなと感じます。実際、このサイトでも令和って単語を18回も使っていました。昭和に至っては54回もありました。これは実際に数えてみて自分でもびっくり。平成も20回使ってましたね。

なぜ時代を表すのに適しているかというと、一つは長さでしょうね。かつてはともかく、現代では一世一元かつ天皇終身制ですから、元号の期間は天皇陛下1世代と一致しています。だいたい30年間ですね。実際平成は約30年でしたし、令和も大きくは変わらないでしょう。昭和だけはちょっと長すぎましたが。

社会状況は必ずしも元号の動きと一致するわけではないという問題はもちろんあります。が、これも意外と一致するのは、元号などの動きが社会の空気を変えることもあるからなんですね。西暦の場合は世紀の切り替わりで起こります。世紀末になると比較的どんよりした社会風景になるけれど、世紀が変わると一気に新時代がやってきたと気分一新するそうなんですね。実際19世紀末と20世紀最初はそんな感じだったらしいですし。20世紀末は同じくどんよりしてたけど、21世紀は9.11から始まって今のところテロの世紀って感じになっちゃってますのが残念ではありますが。

ともあれ、時代の呼称によって時代の空気が変わる。実際平成から令和になって、社会的には何も変わってないはずなのに、なんとなく時代の区切りがついた感がある。古い価値観は平成に置いてきて、令和になったから新しい価値観にアップデートしようよって感じがしないですか。私だけですかね。

そんな時代の区切りを西暦だと100年に一度しか持ちえないんだけど、元号があると30年に一度くらい持つことが出来る。これ結構お得な気がするんですよ。100年に一度だと、ほとんどの人は一生のうちに時代の切り替わりを体験せずに終わります。また、時代の切り替わりを体験した人も、2回の切り替わりは体験しない。でも日本の元号は約30年で切り替わるので、平均的に長生きする人なら2回くらいは体験することが出来る。これもお得なポイントではないかと思います。

ということで元号は時代を表すのに便利だなぁという感はあるのですが、一方で日常の書類記入には不便。今の元号が令和であるというのは覚えていますし、今が西暦で何年かも覚えていますが、令和で何年かって覚えてないんですよね。いちいちGoogleで「令和 今年」とかで検索して確認しているという。これは正直言って不便。

とはいえ普段から元号を使ってる人もいるでしょうから、西暦に統一するのもそれはそれで不便。なので、書類に書く年は西暦でも元号でもどっちでもいいようにしてくれるといいかなと思います。今は役所は元号一択なんですよね。

ということで個人的には元号はあってもいいけど、普段の生活では西暦中心に使えるようになるといいなぁと思います。

(2023/11/8追記)

元号は廃止しないけど普段は西暦を使いたいと書きましたが、これ難しいのは使わなくなると廃れてしまう可能性もあるんですよね。そして実際に廃れるかどうかは、やってみないとわからない。

「変えて、もしも悪くなったらどうするんだ」ってのは保守派の主張そのものですが、それで実際に元号が廃れたらちょっと寂しくはありますね。まあ、廃れてしまったらそれまでのものだと諦めるというのも一つの考え方ですが。