オープンガバメントと密室政治

2023/6/9作成

個人開発しているサービスではいくつかオープンデータを使用しています。そのうちの一つを最新に更新しようとしたところ、過去にあったデータが欠落していることに気が付きました。そのオープンデータにはデータ更新履歴が掲載されているのですが、欠落したデータについては記載されていません。欠落した内容を考えると政治的な配慮がなされたような気がしないでもない。この記事ではその政治的配慮を追求したいわけではないので、ここでは具体的には書きませんけれども。ただの担当者のミスの可能性もありますけどね。

そこでふと思ったのですが、こういう政治的配慮って多分これまで多数行われてきたと思うんですよ。でかいところでは核兵器持ち込みの密約とかもそうですけど、そこまでデカい話ではなかったとしてもですね。一市民の苦情で公園が廃止されるとか、移住者カフェの追い出しだったりとか。これまで担当者もしくはその上司レベルで、特に文書が発行されることもなく、その場の判断でなあなあに行われてきたことって多数あるんじゃないかと思うんですね。

そういうなあなあ自体が良くない!って話もありますが、世の中そうそう正論ばかりで成り立っているわけでもない。政治家や官僚がなあなあで済ましてきたことも、それなりに当人たちはよかれと思ってやってることもあるわけです。そりゃま私腹をこやすためにやってる場合もあるでしょうけれどね。ともあれ、善し悪しはともかく昭和の時代まではそんな政治や行政がまかり通っていたでしょうし、昭和の時代を経験してきた政治家や官僚は今でもそんな感覚でいるんだろうと思います。

一方、オープンガバメントとかオープンデータとかって、こういうなあなあを許さないんですね。全て白日の下に晒されてしまうので。膨大なデータを晒しても市民の側もチェックしきれないという話もありますが、そこは今話題のAIの発展が期待できるところでもあるし、そもそもデータが公開さえされていれば遠い将来にでも検証される可能性は残るわけです。

でまあ、こういうオープンガバメントとかオープンデータという考え方と、昭和のなあなあの密室政治って相性悪いなぁと思わけですよ。考えてみれば当たり前の話ですが。ただ、そこんところに気が付いてる人って意外と少ないんじゃないかなという気がしたのでこうして書いています。上から言われて機械的にオープンデータを公開してる官僚は気が付いてないでしょうし、シビックハッカーの間でもあんまり指摘されてない気がする。単に私が見聞きしているだけかもしれませんが。

これは更に蛇足なんですが、もしかしたらオープンデータやオープンガバメントって、初期のオープンソースと同じような文脈でとらえられているのかもしれないなと思ったり。初期のオープンソースって、自社のソースコードを公開したら世界中のプログラマが無償でデバッグや改良をしてくれるから開発費が安くて済むって捉えられてたんですよね。全員がそうではないですが、一部の人は真面目にそんな風に捉えていた。オープンデータについても、本来行政がやるべきことをシビックハッカーが無償で勝手にやってくれて行政コストが安くて済むようになるから歓迎だって思ってる政治家や官僚って一定数いるんじゃないかなと思ってみたり。まあ、そんな勘違いからでもデータがオープンになることは有意義ではあるんですけどね。

(2023/6/10追記)

シビックハッカーをディスりすぎてしまったのでちょっとカウンターというか言い訳を追記。

世界でもっとも有名なシビックハッカーといえばオードリー・タン氏ではないかと思います。異論はあるかもしれませんが。彼の自伝を読んだことがあるのですが、そこでは明確に上記のようなことを意識していると書かれていました。ていうか、オードリー・タン氏は無政府主義者であって、その実現の手段としてシビックテックを活用してるという感じですかね。

そこまで政治的に明確な主張があるかどうかは別として、ある程度シビックテックに深く関わっている人は、密室政治を暴くことに繋がりそうだということには気づいていると思います。私ですら気付いたわけですから、他の優秀なシビックハッカーが気づかないわけがないですね。ただまあ、今のところその視点を声高に主張しているという風潮はないように感じます。私個人の観測範囲での感想ですが。

開かれた政治というと情報公開請求を繰り返している伝統的左翼のプロ市民ってイメージがありますが、シビックテックは今のところそういう団体や主張とは線を引いてる感じですかね。