なぜ大人になると学ばなくなるのか

2023/6/7作成

少し前にリスキリングが話題になって、その一環で日本人は社会人になると勉強しなくなるって話がありました。この件について、例によって自分の観測範囲だけの狭い話で考えてみたいと思います。つまり、全然あてにならん話だよってことです。

人は、というか私は学んでないと言えば学んでないな。うん。ただ、この場合の学ぶってのも大きく分けて二種類あると思うんですよ。日常的に知識をアップデートする学ぶと、時間をかけてある程度大きな知識を体系的に学ぶのと。

前者の知識をアップデートする学びは私も毎日のようにやってます。職業がITエンジニアですので、これやらないとそもそも仕事にならない。日々新しい技術や概念が登場しますので、毎日仕事時間の大半はぐぐって出てきた資料を読んでる時間だったりします。そういう意味では毎日ひたすら学んでます。ただ、こういう学び方って知識が断片的に偏ってしまうんですよね。付け焼き刃的というか。それが悪いわけではないし、付け焼き刃の知識も必要ではあるんですが、知識が付け焼き刃のみだとやっぱり限界があるなぁというのを最近特に思います。

一方、時間をかけて体系的に学ぶ知識です。全く新しい概念だとか技術だとかになると、体系的に学ばないと習得は難しいですね。当然時間も掛かる。でも社会人になるとこうした学びはなかなか難しいんですよ。

ちょっとした資格勉強だとしても、合格までに必要な勉強時間は100時間くらい掛かったりします。1日1時間勉強するとして、3ヶ月以上かかるわけですね。当然そうやって学んでる人もいますけれど、多数派ではない。業務時間の中ではそうした学びは行えないので、本人の心がけ次第になってしまう。

社会人になると学ばないという言説の中に、企業が社員教育に投資しなくなったという話もありましたが、これもどうかなという気がします。企業がやる研修ってせいぜい数日程度だったりしますから、それで大きな知識を体系的に学ぶってのは難しく、しょせんは付け焼き刃的な知識にとどまってしまうと思うんですよ。それでも研修しないよりはよっぽどいいんですけどね。まあ、企業が頑張ってMBAとらせたりすると、取得すると同時に会社辞めて独立したりするので、企業としても教育投資したくないって話もあるのかもしれませんけれども。

時間をかけて体系的に学んでいる人というのは、例えば新卒社員がいます。学生の頃はまさに毎日学習の日々でしたし、採用から配属までは集中的に研修を受けています。実際、職場で一緒に働いている新卒社員の方とかスゴいなと思います。付け焼き刃の知識で戦ってる私などよりもよっぽどスキルが高かったりする。まあ、それは知の高速道路のお陰という話もあるんですけどね。今必要な知識だけを効率よく学んでいるわけですので。

ということで新卒社員にかなわんなぁと思ってるところなんですが、実はこれにも罠がありまして。プログラマ35歳定年説の仮説で書いたように、おおよそ10年で一つの知識体系で通用する期間は過ぎてしまいます。この10年という期間は分野によって時代によって長くなったり短くなったりしますけどね。

ともあれ今は優秀な新卒社員も10年後には知識が古くなって付け焼き刃でなんとか戦うような状況に陥ってしまうかもしれません。というか多分そうなりますよね。そっから新しい知識を体系的に学ぶためには集中した学習時間が必要なのですが、それがなかなか取れないのが日本の企業社会の問題ではないかなという気がします。ようやく書きたかった問題提起にたどり着いた。

集中した学び直しの時間が必要なのですが、今の日本企業社会ではそんな時間はとれません。一部の人は業務終了後に資格学校に行ったりして学びますが、そんな気力と体力と財力があるのはごく一部の限られた人だけになります。では数ヶ月会社を休んで勉強できるかって言うと、今の日本企業はそんなことは許してくれない。退職して学び直すしかない。しかしそれは非常にリスキーだし、再就職時に学び直しを評価せずに単なるブランクとしか判断しない会社もあります。そんな状況では誰も学ぼうとしませんよね。

数ヶ月といわず1年2年くらい大学に入って学ぶとかもあっていいと思うんですよ。というか、ライフシフトにおけるマルチステージの人生ではそういうライフプランになりますよね。でも、今の日本企業社会はそんなマルチステージを許してくれない。そこんところが一番のネックなんじゃないかなぁという気がします。