頭の良さと情報リテラシーの違い

2013/4/8作成

知人がネット上で「真実の情報()」をドヤ顔で披露しているのをみかけて、くらーい気持ちになってそっとブラウザを閉じた。

なんだろうなぁ。その知人って、決して頭は悪くない。というと失礼だな。少なくとも私のような抜け作などよりはよっぽど頭がいい。それは間違いが無い。ただ、頭の良さと情報リテラシー(?)って一致するわけではないんだよなぁ。高学歴の人がたくさんオウムにだまされたってのもあるし。

jawpで、BLsky-Ockhamさんが

「情報リテラシーを保持している人にとっては、Wikipediaに勝る有益な媒体はない」ということと、「情報リテラシーが不十分な人にとっては、かえって害になる危険性を孕んだ媒体である」と感じています。

おっしゃっていて、至言だなぁと思いました。

もちろんこんなことを書いているからといって、自分が情報リテラシーがあるとはこれっぽっちも思ってないんですけどね。当たり前ですが。パラドックスのようですが、情報リテラシーって「あると思う」と「なくなって」しまうものだと思うんですよ。常に自分を疑い、自己批判を繰り返していなければならない。そう考えると、情報リテラシーを持ち続けるというのは結構しんどい。そっから降りてしまって、何かの思想に全依存してしまったほうが楽だろうというのは事実だと思うし、無意識にしろそれを選択する人を責められるものでもないかもしれない。ただ、自分としては情報リテラシーを放棄をすることはしたくないし、放棄すると自分が究極的に求めている知識へ近づく道を閉ざすことになるのでしたくない。

なんか、途中から変な話に流れていってしまったが、ふと思って再考したので書き留めてみた次第。