コメント考

2009/12/4作成

まだしっかりと考え切れてないんですが、とりあえずの思考メモというかドラフトというか。

ブログでもSNSでも、コメント欄というものがありますよね。読者がそこで記事に対して思ったことをコメントできるようになっているわけです。

その「思ったこと」ですが、ものすごく大雑把に分けると、「記事に賛成」と「記事に反対」の二つに分類できます。もちろんこれだけではないのは重々承知ですが、とりあえずここではこの二つの感想だけを取り上げます。

んで、まずは「記事に賛成」と思った人の場合、わざわざコメントをするというモチベーションは比較的低いと考えられます。既に記事が書かれているわけですから、コメントをしても同じことを繰り返すだけですし。

一方、「記事に反対」と思った人の場合。これはコメントをするモチベーションが高いと思われます。その読者の意見は記事には書かれていないから、わざわざ書くだけの意味があるというわけですね。

結果として、コメント欄は反対意見の方が多数を占めるということが予想されます。多数かどうかはともかく、実際の読者の感想における比率よりは、反対意見の比率が高くなるだろうと思われます。ブログ主も人間ですから、こうして自分に対する反対意見ばっかり書かれると、正直凹むだろうと予想されます。だから、ブログ主はコメント欄にはこのように反対意見よりのバイアスが掛かっているだろうということを予想してコメントを読むようにする、つまり心に予防線を張っておくといいのではないかと思います。一方、コメントを書くほうとしては、賛成意見だったとしても出来ればコメントをしてブログ主を支えるといいと思うし、反対意見を書くときは、それがブログ主を凹ませる可能性を考慮して文体などに気をつけるといいのではないかと思います。

こうして思うと、ブログに比べるとSNSは反対意見が少ないような気がします。言葉悪く言うと、馴れ合いというか。なぜSNSがそういう雰囲気を生み出したのかは謎ですが、初期のmixiが「すごく面白い!」というイメージを獲得できたのは、こうしたコメント欄の馴れ合いの雰囲気、言い換えれば賛成コメントを多数もらえるというところに起因するのではないかなぁと思います。

(2016/5/28追記)

上記のようなことを考えると、肯定的な感想をもったときにコメントよりも手軽に反応を示せるFacebookのいいねは発明だと思うよね。mixiの足跡も近しいものがあったと言えるかもしれないけど。ブログにしてもSNSの日記にしても、書いた人は読者の反応が欲しいんだよね。太古のアクセスカウンタとかアクセスログ解析とかも、そういう欲求が生み出したものだと思うし。mixiの足跡に特に顕著だったけど、踏み逃げを許さない文化を作ってしまったためにmixi疲れを招いてしまったというのは失敗だったけど。そういう意味では今のところFacebookはうまくやってますかね。

ブログの記事はブログ主の発言だとすれば、読者というのはそれを聞いている立場になるわけですね。そこで必要なのは、多分「聞く技術」だと思う。コメントというのは、聞き手が返す反応というわけです。そこでうまい反応を返すと話し手であるブログ主は気持ちよくなるし、さらに面白い記事を書き続けることができる。逆に、よくない反応を返すとブログ主はつまらなくなるし、最悪ブログを閉じたりすることになる。というか、後者の現象って腐るほどネットで繰り返されてることですよね。

では、よい反応というのはどんなものか。ここで良いか悪いかは肯定的か否定的かというのとは、またちょっと違う。肯定的でも悪い反応もあるし、否定的でもいい反応もある。たとえば、ここで私が原発推進のブログ記事を書いたとします(あくまでも例です)。そこに原発推進の立場ではあるけれど、自説を延々と垂れ流す長文のコメントが書き込まれたらどうでしょう。会話でたとえれば、自分があるテーマで話そうとしたところ、間に割って入ってきてしゃべらせてくれない人みたいなイメージでしょうか。よくある話ですが、こういう人って聞き上手では決してないですよね。

逆に、原発反対の立場だけど、ブログ主が見落としている視点について端的に指摘するコメントだったとするとどうでしょう。ブログ主にとっては自分の抜け落ちていた点を知れたわけで有益となりますね。こういうのはいいコメントではないかと思います。

ブログというのはブログ主の個人のスペースですから、話し手はブログ主になります。読者は聞き手ですから、あくまでも聞き手としてのスタンスを守のがいいのではないでしょうか。ブログの記事は話し手として、コメントは聞き手としてのコミュニケーション手段なわけですよね。コミュニケーションスキルというと話し方ばかりが強調される傾向がありますが、実際には万人がしゃべる一方ではコミュニケーションでもなんでもないわけで、話し手と同数以上の聞き手が常に必要なわけです。そこには聞き手としてのスキルも当然に必要になってくるわけですし、聞き手として守るべき節度というのもあるのでしょう。だからとって聞き手はずっと我慢していなければならないというわけでもありません。聞き手であらなければならないのはあくまでもそのブログの中でだけ。自分のブログを持っていれば、そちらでは自分が話し手なわけですから、長文の自己主張がしたいのであればコメント欄ではなくて自分のブログですれがいいのではないでしょうか。

最近では実際にはブログにコメント欄がついてないことが増えたように思います。上で書きましたとおり、コメント欄に書き込むには聞き手としてのコミュニケーションスキルが必要ですが、実際にはそんなスキルは持ってない人の方が多いですので、結果的に悪いコメントであふれてしまったためにコメント欄は機能しなくなってしまったのかもしれません。

コメント欄に代わって、現代ではSNS言及が普及しているようです。ブログ(に限りませんが)を読んだ感想をコメント欄ではなく、twitterでつぶやいたりということですね。SNSはブログとは別のサイトですから、ここで言及することはコメントのように直接的な反応ではなくなります。なので、聞き手スキルもコメント欄ほどには必要ではなくなります。twitterで自説を延々と開陳しても、それほど不自然なことではありません。記事に対するSNS言及を自動的に表示してコメント欄の代わりにしているブログもありますので一概には言えませんが、SNS言及は一段クッションをおいているぶんだけ、コメント欄よりもブログ主への反応が薄いということは言えるように思います。聞き手としてのスキルが難しいのであれば、このようなワンクッション置いた言及の仕方というのは、コメント欄よりは平和なソリューションなのかもしれませんね。

(2017/4/9追記)

最近思うんですが、いいねってのは実はさらに優れた発明なんじゃないかということです。

コメントが付くと、それに対してやはり返信しまう。何も返信しないと無視してることになりますからね。いわゆる既読スルーというやつです。それはやはり避けたいので返信します。

返信して、さらにそれに返信がつくこともあります。相手としても、自分が既読スルーをやって嫌われるのはいやですからね。こうして延々とコメントの応酬が続くということがあります。別に激論を交わしてるわけでも意見が対立してるわけでもなく。ただ単にお互いに「このコメントの応酬ってどこで止めたらいいんだろう」って思いながら、でも自分の側で止めるのは怖いので当たり障りのない返信を返してしまうを繰り返してしまう。

こういう時に「いいね」って便利なんですよ。既読スルーではない。ちゃんと反応は返してる。でも、その反応に特に内容はこもってないので、受けた側はさらに反応する必要はない。「どこで止めたらいいんだろう」ってのを、すごくうまく止めることが出来る。それが「いいね」の便利なところではないかと思います。私はLINEをしないのですが、多分スタンプも似たような効用があるのではないかと思います。ただ、スタンプの場合は意味を持ち過ぎてしまうのでスタンプの応酬が続いてしまうってことはあるかもしれないですが。


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