子供に愛情なんて注がなくていい

2012/6/7作成

タイトルは半分釣りです。「注いでもいい」と続きますんで。

発端は「違いと差の違い - 書評 - だからこそできること」。といっても本論とはちょっとずれた、付け足しの部分だけど。

「自分の子供に愛情が注げるか自信が無い」という読者の問いに対して乙武さんと弾さんが回答しているんだけど、どちらも「子供に愛情を注ぐべき」という点からは外れていない。いや、そうじゃないでしょう。

そもそも「愛情をもって子育てする」というのが普遍的な考えではなく、ごく近年に生まれた思想であると思うし、愛情がなくたって子供は育つ。「親はなくとも子は育つ」は極端にしても、親としての扶養の義務は最低限は衣食住を満たすこと。それに加えて適切な教育機会を与えること(「義務教育」の義務があるのは養育者。子供自身にあるのは「教育を受ける権利」)。それさえ満たしていれば、愛情なんてなくたって子供は立派に育てられる。

だいたい親子関係だって人間関係の一種だ。理屈に関係なく、うまが合わないということは起こりうる。兄弟がいて、この子には愛情を感じるのにこっちの子には感じない、ということだって起こる。それは感情の生き物である人間にとって必然なんだ。にも関わらず「自分の子供には愛情を感じるはず」という世間のプレッシャーが多くの親(特に母親)を苦しめている現実もあることを知って欲しい。

リンク先の記事の言葉を借りれば、愛情をもって子育てをするかどうか。もしくは、親からの愛情を受けて育つかどうか。それは「差」ではなく「違い」なのではないのか?親からの愛情の有無は成長に影響を与えるだろうけれど、それは優劣とは関係がないはずだ。だから、愛情を注がなくてもいい、注いでもいい。そう私は思う。