コーチの有用性

2015/12/5作成

コーチと言ってもいわゆるコーチングの話ではありません。コーチングは有用な技術ではあるのですが、それなりに高度なスキルなのでだれでも簡単に使いこなせるというものではありません。習得するのも大変ですし。もちろん、習得するのにこしたことはないんですけどね。でもそれを万人には勧められない。

本来コーチングのスキルを持っているべき立場の人ってのは、実は世間にはたくさんいると思うんですね。語原に近いスポーツのコーチはもちろんですが、学校の教師とか会社の上司とか。更に言えば子を持つ親も該当すると思います。これらの人々がみんなコーチングのスキルを持っていればそれは素晴らしいかもしれないけど、現実にはなかなか難しい。ただ、コーチングそのものでなくても、それなりに成果をあげることはできるんじゃないかと思うんですね。

人間誰しもですが、自分の意志だけで自分をコントロールしきるってのは、なかなか難しい。何か目標を立てて実現するぞと強く決意したけど、実際には三日坊主に終わってしまったというような経験は誰しも持っていると思います。

そういうときに利用するといいのがコーチという存在ではないかなと思うんです。コーチという言葉からはコーチングを連想しやすいので、別の言葉で言い換えた方が適切かもしれません。例えば伴走者とかではどうでしょう。必ずしも導くのではないけれど、寄り添ってくれる存在。

目標を立ててそれを実現するコツとして、それを周囲に公表するという方法がよく言われます。これって、要するに周囲の人を伴走者として巻き込もうということだと思うんですね。自分自身の意志だけでは律することが難しいので、他人の目を利用すると。周囲の人はコーチングのスキルを持っているとは限りませんし、具体的になにかをするわけではありません。せいぜい、立てた目標を実行していなかったら、それを指摘するくらいでしょう。指摘されて見直すこともあるし、指摘されないようにという気持ちが目標の実現に利する場合もある。つまり「他人の目」を利用するわけです。他人の目が無いと自分が律せないというのも少々情けない話ではありますが、実際の所多くの人はそこまで強いとは限らない。強くない人もなんとかそれなりに成果を挙げていかないと生きていけないので、ならば利用できるものは何でも利用したらいいと思うわけです。

「禁煙マラソン―無理せず焦らず励ましあって」江口 まゆみ、高橋 裕子」などがいい例ではないかと思います。メーリングリストのメンバーは誰もコーチングをしていたわけではないでしょう。というか、全員が基本的に禁煙をする仲間です。メールという手段だけでつながった緩い関係だけど、でも自分一人ではないという安心感と、他のメンバーに対する見栄のようなものを利用することで、多くのメンバーが禁煙という目標を達成することが出来ました。そりゃあ、自分一人でこっそりと禁煙を実現する方が立派かもしれませんが、それを万人に求められてもねえと、弱い人間である私は思ったりするわけです。

ちなみにですが、この場合の他人の目は必ずしも人間である必要もないようです。「プライベートで 689日連続でコードを書いた(ことの振り返り)」の例では、GitHubの表示する数字をモチベーションに毎日コミットを継続することが出来ているわけです。これは結構大事なことではないかと思います。つまり、目標を実現するのに伴走者が居た方がやりやすいのですが、その伴走者は人間でなくてもいい可能性もある。であれば、ウェブサービスなどで伴走者サービスがあればそれでいいかもしれません。人ではなくウェブサービスで自動化できるのであれば非常に低コストに伴走者が実現できるわけです。

家で一人で勉強しようとしてもサボってしまってなかなかうまくいかないけれど、塾や予備校に行けば講師が見ているので勉強することができる。この場合は講師は伴走者なわけですが、生身の人間が行っているのでコストが高い。塾の場合は多数の生徒で分担するのでそれなりのコストで済みますが、家庭教師のように一人で占有すると更に高コストになってしまいます。また、塾の費用も負担できない家庭だってあるわけですから、それらの人に低コストで伴走サービスを提供することは有意義なことではないかと思います。

というようなことをつらつらと考えて、伴走サービスとか立ち上げたらいいかなぁと夢想している今日この頃です。

(2017/4/5追記)

上で伴走するのは人でなくてもいいかもしれないと書きましたが、もしかしたら人でない方がいいのかもしれないとも思いました。

そう思ったきっかけはお客様貴様、三語以上話せという記事を読んだことです。本題は別で、末尾の追記が気になりました。人を相手にすると横柄な客が、ロボット相手だと丁寧に接するということがあるそうです。その理由までは記事では考察されてませんが、私なりに考えてみたのはこういうことです。人を相手にすると、その人に対して上位に立ちたいという欲望が生まれる人が一定数居ます。いわゆるマウンティングという奴ですね。個人的にはそんなくだらないことと思いますが、そういうのにこだわる人というのは実際に存在しますので仕方がありません。そういう人たちは応対する人に対してわざと横柄に接して、相手がへりくだってくることで自分の優位性を確認したくなるのでしょう。もしくは、相手が反論してこないことを見越した上でわざと恫喝したりするたちの悪い人もいますよね。

一方、相手がロボットだったとしたらどうでしょう。相手は人ではありませんから、マウンティングしても仕方ありません。ロボット相手にマウンティングしていたら滑稽ですらあります。また、ロボットの性能が向上したとはいえ、まだまだ人間に比べるとその能力は低いです。ゆっくり、丁寧に接しないと思い通りの応対は望めません。言ってしまえば、リモコンをゆっくりと丁寧に操作してるようなイメージですかね。リモコンを前にして「おい、こら」ってどなって操作しようとする人は居ないと思います。ロボット相手に対してもリモコンと同様に接するのではないでしょうか。まあ、なかなか思い通りにいかないときに怒ってリモコン投げつける人も居ますから、みんながみんなそうとも言えませんが。

長々と書いてきましたが、要するに何が言いたいかというと、人に対して接するときには、モノに対するときとは違う感情が起こるということなんです。これが伴走者に対してであった場合、恥ずかしさや見栄などの感情が起こることが予想されます。ダイエットの伴走者がいたとして、昨日間食や暴飲暴食をしましたかとか、運動をしましたかと聞かれたとき、恥ずかしさや見栄で正直に報告できないということはあり得そうに思います。そこで正直に報告できないと、当たり前ですが伴走の効果は下がります。

そこで報告相手が人ではなかったとしたらどうでしょう。ウェブサービスやスマホアプリで入力するとしたら、そこで恥や見栄を感じる人は、人に対して感じる人よりも少ないような記がします。そのデータが他人には閲覧できないなら当然ですし、SNSなどで公開されるとしても、人に対して直接報告するよりはクッションを挟みますので抵抗は少なくなるような記がします。

という可能性を考えると、伴走はむしろ人よりも機械にやらせた方が効果が高い可能性があるかなと思います。もっとも、そもそも伴走というのは他人の目を使って自己を抑制しようという話ですので、それが機械であったなら気がゆるんでしまうという人もいるでしょう。なので、人が伴走するのか、機械が伴走するのか、どっちがいいのかは一概に言えない訳なんですが、一つの可能性としてこういうこともあり得るかなと思った次第です。


あおやぎのさいと2.0 トドの日記2.0